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2011/11/24-27

5日5晩に渡って、宴会を続けた。
多くの方々から祝辞を受け、我々は酒や料理を以ってもてなそうと努めた。 なぜそんなことになったのだろうか。


今回仕入れた食材たち

2011/11/23

結婚とはなんだろう。
分からないなりに検証してみると、三種類ほどの関係性があるのではないかと思う。

まず、社会全体と当人たちとの関係性について。
とりあえず、役所行って紙きれ一枚出せば、なんらかの法的な条件が生まれる、というのが日本国内の厳密な定義だろう。

当人同士の関係性というのも当然あるにはある。恋人関係との違いは、一緒に家族作る意思があるだとか、関係性を永続的に続かせるとか、そういうあたりにあるとは思うが、子ども作らない夫婦も、永遠に続かない夫婦も、それぞれたくさんいる。 お互いに結婚の同意をとることは重要であることは確かだが、曖昧なところもある。

まぁやっぱり、当人たちと周囲の人たちとの関係性が一番変わるのではないかと思っている。
役所への提出はフォーマット見ながら名前書いてハンコ押せば済む。当人同士は「結婚しますか?yes/no」のやりとりがあれば良いだけだから、さして手間はない。
周囲に対して周知させるのが結婚式ということになると思う。

社会、当人同士、周囲の知り合い。その3つとの関係性を確認するイベントのうち、我々は最初の二つは済ませたが、最後の一つをやっていない。何らかの形で、そういうことはやったほうが良いだろう。


妻が夜なべして作ったドレス。左が10月中旬、右は直前の状態。

じゃあ何やればいいか。
はっきり言って全然わからない。
伝統に則った祭事方法があればそれに従えば良いが、戦後の東京生活にあるのは、伝統文化というよりは自由と商業主義だ。 リクルート様やWikipedia様あたりにお伺いをたてれば、いま現在の最大公約数的な結婚式を教えていただける。が、そういう風習に従って良いのか分からないし、第一そういうところには「自分たちらしいことが大事」などと書いてある。 結婚式の意義、やりたいことについて、分析し、再構築する必要にせまられる。

葬式は仏教、結婚式はキリスト方式というのが、戦後日本の最も一般的な形式。だが選べと言われれば、僕はキリスト教自体があまり好きではなく、全然信じていない神様に誓うのは、なんだか失礼だ。

否定していても何も生まれない。かつての自分の成功体験にすがってみよう。
三年ほど前に行なった写真展、あれは長年の知り合いたちがたくさん来て、僕の活動を見てくれたのが面白く、葬式やるならこういうのが良いなと思った。
それを二人の経緯や活動紹介、ということにすれば、結婚式にも応用可能かもしれない。そういう構想を持ったのは、実をいうと数年前だったりする。実際に準備を始めたのも半年くらい前からだ。
限られた人数内に誰を呼ぶとか呼ばないとか考えるよりも、ある一定期間開いておいて、来てくれる人は都合の良い時間に来てもらおう。

妻に意見を聞いてみると、ウェディングドレスが着られれば何でも良い、と言う。このあたりは彼女の女子力の低さが良い方向に現れていて、ありがたい。

その他、家族の希望を聞いてみる。やはり晴れ舞台的な場が欲しい、あまり大袈裟にしたくない、自分たちで決めろ、等様々ある。
写真展のはじっこで宴会やるだけじゃあ、フォーマルさは不足するだろう。なるべく人数を増やさない程度に、親戚を中心としたパーティもあったほうが良さそうだ。1.5次会と呼ばれる形式にあたるようなことをやることにする。


ケーキカットというものは、儀式めいたことの一例になるのかもしれない。

人々集めて、単に飲み食いするだけだと、来てくれた人にとっても締りがない感じの宴会になりそうだ。何かしら儀式めいたことも必要だろう。 しかし前述のように、神父さん等の宗教的権威は呼ぶつもりはない。

指輪交換、これはたぶん古代ローマあたりで行われていた風習なんじゃないかと思う。日本でもそれなりに定着しているっぽいが、僕自身には指輪の習慣や知識は全くない。今後も指輪をはめることはないかと思う。そんな人材が指輪を交換したところで、意味のある行為になるとも思えない。

という訳で、自分たちで勝手に作った宣言書を読み上げるという、なんだかあまりハクのつかなさそうな形をやろう、ということになった。 分類すれば、人前式という便利なスタイルにあたるのだと思う。が、誓う対象は人だけでなく、酵母だとか山だとかそんなものも含まれている。となると、純粋な人前式ではなく「ヒト海山川生き物」前式、森羅万象前式、みたいな形式である。この上なくハクのつく形、と受け取れないこともないだろう。

さて、結婚式当日。
ずいぶん昔から構想していたのに、やっぱり直前になっても全然準備は終わらない。あと二週間くらいは欲しい感じで、あれもこれもやっていないことに、今更ながら気づく。写真展と1.5次会を同時に開催するのは、負荷が集中することは確かだ。
前日の準備も、ほぼ絶望的にはかどらない。このところ常態化しているように深夜遅くなっても寝床につけない。 当日は、結婚式マニュアル的なもので見た、悪い例そのままのコンディションで迎えることになる。睡眠不足で朦朧とした頭に、式次第の詳細がけっこう抜け落ちている、なんて情報が入ってくる。
こりゃあまずい。どうなっちまうだろう。皆様をがっかりさせ、オロオロするだけのお寒い感じにならないだろうか。


挨拶を考えたのも式の始まる数時間前。手紙の内容を考えたのも前日。泥縄的である。


経歴紹介動画も直前に完成。作ってみると、それなりに満足感はあるけれども。

それでも予想以上に式らしくなったのは、参加してくれた皆様のおかげだ。当然、我々自身の抜け目の豊富さについては自覚しているので、最初から皆様頼りの構想ではあったとはいえ、それが必須の戦略であったことを実感した。皆が集まってくるにつれ、朦朧とした頭でも大きな好意に包まれていることに気づくようになる。
とりわけ、我が竹馬の友にして百年の知己、ワカイ氏の存在が大きい。 最近は年に一遍も会っていないが、僕にとっての切り札的存在、何か重要な場面では必ず出てくることになる。 相変わらず、どんな状況でもこいつに頼めばどうにかなってしまうので、可笑しくなる。

会場に選んだのは、丸ビルのレストラン。これまで何度か来たことのある、妻も僕も気に入っているところであり、母が元気だったころに家族で出かけた最後のレストランになったところだ。

収容人数は少なめだが、今回のコンセプトにはちょうど良い。夜景が綺麗で雰囲気もいい。 貸し切りできるというので聞いてみたが、今までは二次会会場として利用されたことはあるものの、普通は結婚式の会場として使うことは少ないようである。
おそらく、普通にウェディングプランナーに依頼すれば、諸事が定型化されてもっとスムーズなのだと思う。お店側は手探りで対応してくれたが、慣れて無さそうだな、という印象も確かにあった。

その分、料理の質が非常識に高い。
結婚式の食事って、見た目の豪華さは優先されるが、式進行を妨げないように落ち着いて食べられなかったり、不味くはないが感激するほど美味しくないな、というくらいが多いように思う。ちょっと美味しいと思うときでも、「大人数のパーティーにしては」と但し書きがつく。ような気がしている。

それが今回は、掛け値なしに美味い。さすがオザミである。
まさか、テーブル一つ一つに、ワインと料理の説明を丁寧にしてくれるとは思わなかった。新郎新婦の席にまでも。ワインも料理に合わせてそれぞれ選んでくれて、しかも一つ一つワイン通を唸らせるようなものだ。 披露宴では本人たちには食事をとる余裕はあまり無いと聞くが、けっこうちゃんと自分たちの食事も楽しめた。
食いしん坊を自認する我々のパーティとして、とてもよい選択だったと思っている。

結婚に関する誓約書。
山頂から眺める夕日や星空のみならず、ヒツジやブリ、酒精やキノコにまで誓っているのだから大変なものだ。
ここで我々がやろうとしているのは、永遠の愛を誓うというよりは、我々の人生においての指針、憲法のようなものを定めることだ。 これまで続けてきた、恋人契約制度の延長に当たるものになる。

我々自身に対しては、それぞれの自己実現のために協力していくことを誓う。 大自然に対し、最大の敬意を払うことを誓い、恩恵を他者と分かち合うことを誓う。周囲の人々や未来を尊重することを誓う。
誓いというのは、普通、「上記のことを破った場合は、これこれの罰を受けます」ということが付随する。今回は、誓う対象からの恩恵を受けられなくなる、ということになるのかもしれない。そんなことになってはとても大変なので、なるべく曖昧な努力目標を誓っている。

以下、とりあえず全文転載。

私たち二人は、

私たち自身、
私たち二人に関わるすべての人々、
自然法則とその化身たる星々と太陽、空、大地、海、山、川、
そこに棲む獣、魚、虫たち、植物、菌類、微生物たちすべて

に対し、以下のことを誓います。

一、お互いを尊重しあい、二人の関係を維持・向上させ、お互いの能力を最大限に発揮することに努めます。
一、周囲の人々とのつながりを大切にする家庭を築きます。
一、大自然に最大の敬意を払い、その恩恵を他者と分かち合い、魅力的な未来のために努めます。


西暦2011年11月23日

そして写真展。



日本酒は11升準備。次々と開く。
この手の催しの常として、皆様は差し入れを持ってきてくれるため、一升瓶が通貨のように流通する。
永続的に酒が続くシステム。

自分でも、何を目指していたのか途中で分からなくなってきていたくらいだから、きてくれた人の中にも色々混乱させただろうが、思ったよりも意図が理解されていたと思う。『いろんな人と話せて良い形式ですね』なんてお世辞を言われるたびに、そういえばそういうことを目指してたはずだ、などと気づかされた。

●良かった点

・非常にたくさんの人に来てもらえた
記帳していただいた方で120人。記入紙の不備などで記帳していない方もけっこういるから、大雑把に推定して150人くらいだろうか。
こんな人数、出欠取るだけで大変だ。勝手に来てもらう方式だからこそ実現で来たんじゃないかと思う。

・いろんな人と話すことができた
普通、100人も客が来たら、挨拶するのがせいぜいだ。が、5日間に渡ってダラダラと続けていたので、時間帯によっては相当ゆっくりと話ができた。

●反省点

写真展と銘打った割には、宴会メインになってしまったような気がする
来てくれた方々は、とりあえず我々に挨拶してくれる。我々のほうは酒飲みながら酔っ払っているもんだから、無意味にお酒を薦めたりする。大抵は「まずは写真見せてもらいます」とはなるものの、酒飲んだばかりで作品覚えてない、という方もけっこう居るのでは。

2011/11/28(月)

さらにもう一日飲み会。主人公だかホストだかよく分からない立場は終わり、今日は一般参加者。部署に配属された新人がようやく研修から戻ってきたので、早速の歓迎会。現在所属している開発室が発足して三年ほどたつが、結成以来初の課単位での飲み会となる。

新人氏は、とりあえず爽やか系好青年。優秀かどうかはまだ判断材料がないが、きっと優秀なのだと思う。
新卒社会人と話をしていると、そろそろ僕も世代差を感じるようになってきた。院卒でも十歳違うもんな。 優秀な新人にあっという間に抜かれるというような不安も、もう全然ないな。彼はで頑張ってもらいたいが、話が合わなくなる程度にはこちらもいろいろ蓄積している。 まぁ、おっさんの道を順調に歩んでいるのだろう。

2011/11/30(水)

残りの食材も、痛みやすいものは一応片付いた。
疲れたし、外食にするか、ということで近所のビストロへ。

2011/12/1(木)

我が家の新妻は、頭の中にあることをすべて口に出す傾向がある。
今日は何だかエネルギッシュな講演を聞いて来たようで、僕が帰るなりワイングラスを片手に大熱弁を始めた。
経営がどうとかこうとか言っていたが、最終結論としては、われわれは美味しいごはんをみんなと共有できるように頑張ろう、というあたりに落ち着いた。

そんな訳で部屋は全然片付かないままだ。


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