というわけで久々に正式な同居人。最初から数えて同居人五号はMKちゃん。本日は引っ越し作業。
レンタカー屋で軽トラ借りて、ガソリンスタンド渋滞を横目に都内を行ったり来たり。途中から父親が手伝ってくれてずいぶん助かった。
あんまりちゃんと片付いていないMKちゃんの寮からの荷物搬入も、いろいろあったが夕方までになんとか終わる。
父親にお礼を言い、別れたところで軽トラのカギがないことに気づいた。おそらく父が持っているようだが、電話がつながらない。電話を持っていないか、ドライブモードにでもしていたら、たぶん帰宅するまで気づかないだろう。そうしたら、レンタカー返すのに間に合わなくなる。
都内は、渋滞したら自転車の方が早い。どこかの交差点で追いつくわずかな可能性にかけて、Tシャツサンダルのままチャリで父の車を追っかける。
が、道は流れているようだし、父がどの道を使っているかも分からない。途中で追いつくはずもなく、結局そのまま実家まで追っかけることになった。 まぁ、なんだか妙なハイテンションになって、車の移動速度とほぼ同程度で実家と家を往復。レンタカーも無事に返せた。
横に細長い長方形をした東京都の、短い方の辺を往復したくらいである。おおむね二時間。
僕には帰宅難民という言葉の意味が分からない。別にガソリンに頼らなくても、身一つならそれなりに移動できる。
レンタカーは調布で借りた。さすがに随分疲れたので、調布で外食。 MKちゃんが学生時代からお世話になっている先輩夫婦に連絡すると、ちょうど行こうとしていたバーで飲み始めようとしていたらしい。万事都合が良いようなので合流した。
酒好き料理好きの三人が良いというお店で、確かに料理もお酒もおいしかった。お酒は花の香りのするベルギービール、シャンパン、白ワイン。 料理は、スペアリブ、ラザニアなんかが美味かった。
いつもは空いている店とのことだが、ほぼ満席状態。皆そろそろ地震に飽きてきたか。
一日中整理。ずいぶんと部屋の模様替えが進んだ。
入り口の関係で入らないと思っていた大型家具も、努力の末搬入成功。がんばればなんとかなるもんだ。
あんまり地震で不安がるのも良くないし、そろそろ飽きてきたころだろう。
うちで酒でも飲みにくるかと誘ったところ、芋づる式に参加者が増える。
しかもまたもや女ばっかで、さえずる声のけたたましい飲み会になった。
本日の小麦粉料理はギョウザにする。もともとは別のものにするつもりだったのでビール酵母入り。
中の具は、にら、いり卵、しいたけ、鮭フレークで、かなりうまくいった部類。
先週に続き、菜の花の収穫に入ったが、どうも先にライバルがいたらしい。食べ頃のやつは先に採られており、不作。つくし、スギナ、スーパーのナスを加えたので、量としては十分。
つくしは揚げると色が変わってかわいい。
ライスペーパーを使った春巻風料理。これはパーティー向きだ。
イケヤで買ったお皿は、はったりが効く。野菜切って並べただけ、冷やし中華の具よりも簡単なのだが、なんか豪華に見えるぞ。
ベランダのキャベツやパクチーが戦力として働いている。
酒粕の素晴らしさを皆で褒めたたえていると、「味噌入れても合うのではないか」という意見が出る。 さらに、「これはチーズとも合うのではないか」という案も出る。
それぞれを試してみると、まさに芸術。発酵文化の三重奏。発酵食品のトリコロール。
ユーラシアの西端と東端にて、それぞれ別個に育った食品たちが、平成日本のわが家の食卓で出会った瞬間に立ち会えた幸せを皆で共有。
日本酒も四合瓶で六本ほど消える。一人4合飲んだことになるのか。
13時開始の22時過まで飲んでいたから、とりあえず自粛ムードを追い払うことができただろうか。
持ちよっていただいた皆さん、ありがとうございました。
あまり理性的でない行動に走るのは、自分の身に少しでも危険が迫ると感じるからなのだろうか。
最近の世の中の風潮は、ちょっと安全中毒、安心中毒みたいなところがある気がする。
原発事故にしても、最悪の事態考えたって数千万人の発癌率が20年後に5%程度上がるくらい、みたいな証明できるか分からないようなことだと思うのだが、その程度で地球が終わったかのような騒ぎだ。
五十年ほど前、我々日本人の命は非常に安かった。たしかハガキ一枚と同程度とされ、実際にそのような扱われ方をしていたようだ。それが現在は、死ぬ確立が上がるかどうか、統計的に証明するのが良く分からないような事態で、なんだか世の中がパニックになっている。命を大安売りするのもどうかと思うが、大事にし過ぎるあまり理性を失うのもどうかと思う。
僕の考えでは、何もせずに安心・安全というのは、もともとどこにも無い。政府や他人に与えられるものではない。 安全というのは、その場その場に応じて正しく判断・対処することで初めて得られるものだ。たくさんの不安の中で考え尽くしてようやく得られるのが安全、ということかもしれない。
雪山登山に行くとなると、皆からよく「危険なんじゃないの?」と聞かれる。確かに無雪季よりも危険な要素は少し増えるかもしれないが、相応に対処すれば危険度は変わらない気がする。安全が崩れるときは、危険要素が増えることではなく、正しい対処ができなくなったときで、難所を越えるときよりも、油断しているハイキングや、ぼーっと歩く交差点の方が危険度は高い。
我々は原発事故を前に、正しく判断できているだろうか。
何が正しいかはまだ分からないし、落ち着いている人もたくさんいるとは思う。が、やっぱりまだパニックになっている人も多いんじゃないかと思う。
ほんの少しのリスクにびびって、正しい判断ができなくなるのはより危険だ。情報過多の時代なんだから、必要なのは判断力だ。 どのみち、リスクがゼロなんていう選択肢はどこにもないのだ。どの選択肢も冷静に考えてから判断したいものだ。
●「退避すべきかとどまるべきか」放射線被ばくを深く心配されている方々へ(2011年3月17日午後時点の情報を踏まえて)
やっぱりそうだったか、というようなデータを分かりやすく説明してくれてるページを発見。
放射能が安全だとは思わないが、我々は狂気の20世紀を生き延びて来ているのだからな。少なくても現在の放射能汚染は未体験のことではない。無知で勇敢だったころから、少し賢くなって臆病になってるだけだろう。
過去最高に低コストで作った我がビールも、ずいぶんと美味しくなった気がする。今が飲み頃なんじゃないかな。
今回の地震は、よく1000年に一度の大地震などと言われているが、調べてみるとちょっとおおげさな表現な気がしてきた。歴史的な大地震であることは間違いはないが、10mの津波ってどうも何度か起こっているのね。 地球全土で言えば、同程度の規模の地震は100年で3度起こっている。 三陸地域では今回ほどではないが津波の出るくらいの地震は100年に10回くらい起こっているようだ。日本は世界有数の地震発生地対なのだし、そりゃあそんな頻度で起これば、たまにはでかいのも起こるだろうさ。
1000年に一度というより、300年に一度といったくらいがちょうど良いように思った。 我々の文明をその程度は続けさせようと言うのであれば、当然、もっと大きな災害が来る可能性はある。そういう災害を想定しておかねば、原発だって事故るよな。
自然災害のすさまじさということもあるが、今回の被害は人間の先見性の無さというのはあるよな。我々は、普通は今日と明日のことしか考えられないし、せいぜいがんばっても来年の予算を気にする程度だ。100年以内に大地震がくるというのは、頭では分かっていても、体で実感するのが難しいのだろう。
たとえば大隕石の墜落なんて、大地震よりは頻度が少なそうだが、実際に100年ほど前に起こっている(まだ推定だが)。前回はたまたま当たりどころが良かったが、どうも大地震どころではない災害になる可能性が高そうだ。が、誰もそんな対策しないよな。 まぁ、どう対策するのかは分からないし、来たら来たで運頼みになってしまうのも仕方が無いとは思うが。
地震の被害者数が1万を越えた。行方不明者も2万くらいか。 届け出の無い行方不明者もいるだろうから、実情はもっと多いのかもしれない。 ということは、今回の地震の被害者数は、日本の年間自殺者数と同じくらいだ。 地震も怖いが、毎年毎年この被害者数と同じくらいの人たちが自殺する社会というのも、どう考えれば良いのやら。