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2011/3/11・12(金・土)

まずは、やれることをやるべきだ。それはテレビの前に釘付けになることではない。
何かをやらねば、という気持ちになるが、とりあえずは日常的にやるべきことをやる。それは掃除だったり洗濯だったり炊事だったり、そういう目の前の作業をやればいいと思う。 自分のやるべきことをしっかり片付けておく。現在の気持ちを持ち続ける。後日来るべき時のために自分の力を使えるように、身近な仕事に取り組んでおく。 尊い日常生活は、非日常事態にこそ守るべきである。

メディアを見ていると、なんかいろんなことを言っている。マスメディア以外の情報もなんだか錯綜しているようだ。
でもなあ。そういう情報って危険で無意味なように思えるぞ。すべて他人の伝聞で、悲惨な状況を選択して強調された報道なのだし。

現実的に我々が直面したのは、震度6レベル、マグニチュード8以上という歴史的な地震の中で、僕が見たのはほとんど無傷といえる東京の姿だ。
関東大震災から何十年以上もたち、我々の都市はずいぶんと地震に強くなったのだろうか。道は恐ろしく混んでいたが、歴史的な地震の直後と思える傷跡はまったく見つからない姿だった。(実際にこの目で東京中見たのだから間違いない。)

今やるねきことは、情報に踊らされることでもなく、被災地にお悔やみを述べることでもない。(他人ごとではなく、この時代に生きる我々全員の問題である。) 今後何年も続く再生作業のために、一緒にがんばろうと励ましあい、今の気持ちを忘れずに持ち続け、とりあえずはいつもどおりの日常を維持することだ。

2011年3月11日、後日歴史的な日付として認識されるこの日をどう過ごしたか。
今後いろんな場面で語られるであろうその時間は、僕も結構人の自慢話にひけをとらない程度の時間を過ごした。

本来であれば会社で被災した後、何の影響も受けずにいつもどおりチャリこいで帰りそうなものだが、有給をとって東京湾周辺のマリーナ見学に回っていた。


千葉県側のマリーナをいくつか見て、せっかくだから魚でも食っていこうと店を探す。 木更津はずいぶんと閑散としているが、アクアライン入り口で漁協直営の市場を発見。木更津周辺はけっこう漁業がんばっているから、これは期待できるかもしれない。

無人と云っても差し支えない市場だったが、食堂は一軒開いているのでそこへ入る。あなご天丼が名物らしいのでそれを頼んだが、それが素晴らしかった。
大きなあなごが二つ、中はほっこり外はさっくり。アナゴの好漁場、木更津の漁協周辺なのだから地のものだろう。それにアサリ、のり、何かの肝。これがセットで950円。
だいぶ満足。またこのあたり通ったら寄ろうと思う。海ほたるで食事するよりも気に入った。

●木更津 かもめ食堂


昼食後、さぁアクアライン乗って横浜側行こうかと思った矢先である。

一回目の地震はアクアライン入り口で被災した。こりゃ地震だ、先日の地震の続きだろうか。車に乗ってても大きく揺れるのだからただ事ではない。
そんなことを思ったが、何しろ周囲はスカスカの木更津側だから危険は感じない。津波の危険はあるかもしれないが、震源は遠い揺れ方だったし、ラジオでもそういっている。津波が来るまでに時間はある。とりあえず目の前のこと、アクアラインが封鎖される前に渡ってしまうか。

初震が落ち着き、道が動き始めたところで車を飛ばしたが、海ほたる手前で通行止め。波が怖いのは沿岸部、水と陸の境目であって、トンネル入ってしまえば津波は避けられるだろう。この目の前のトンネル入ってしまえば安心だし、30分もあれば川崎側までわたれるのに、入れてくれない。
結局、しばらく足止めを食った後に木更津側へ戻ることになる。わざわざ危険地帯で地震後の何十分かを待たされることになり、2回目の大きな余震を橋の上で迎えることになる。さすがに海の上の橋の上だからか、1回目の地震よりもよく揺れた。

まぁ一緒にいたのが悪運の強さで一介の不良から成り上がっていった男だ。幸か不幸か、東京湾で華々しく一巻の終わりということにはならなかった。

派手な地震が終われば、あとはうんざりするような時間が始まる。
各高速が止まり、あらゆる幹線道路、下道もひどく混雑し、歩くスピードも出ないような運転が続き、木更津、品川、登戸と、地震後の12時間を渋滞ドライブに使うことになったが、被災後の都市というよりは、日常の延長上。いつもどおりではないが、初詣だとか帰省ラッシュとか事故渋滞とか、そういう日常の中の異常事態が同時に起こっている程度の現実だった。

唯一の例外が市原のガスタンク爆発。これも目の前で体感することになった。16号を北上中、渋滞の予兆が出始めたので、わき道に逃れたころ、目の前に大きな火の玉。家々の間から、時折見れる。カーナビ見て燃料工場だろう、という予想はたったが、その程度の情報。こりゃ火の海に巻き込まれるかもしれない。16号乗らないで良かったけど、上下線車で一杯なのでどうすることもできないなぁ。

その後煙は途切れないが、火の玉が大きく上がったのは4,5回見ただろうか。周囲はガス臭く、爆発音も聞こえたが、しばらくしても火の海になるわけでもないので余り心配しなくなってくる。これも災害ではあるが、数ヶ月ほど前に通勤経路から見た商店街の大規模な火事、そういう不幸とそう大きく違わないくらいの、日常の中の異常事態と言えそうだ。(火災の規模や被害総額はケタが違いそうだが、被害者数はどうも商店街の火事のほうが大きそうな感じだ。)
地球上有数の大都市での大地震の被害としては、驚くほど被害が少ないんじゃないか。関東大震災から1世紀近く経ち、我々の文明はずいぶんと地震に強くなったのかもしれない。

まぁ、運転のほうは、当初予想したよりもちょっと長く、早朝4時ごろまで運転することになった。 夕方までは兎に角あらゆる道が混んでいたが、だんだん道路状況に特徴が出てきたな。上下線がはっきりしている国道は混んでいて(上下共に)、住宅街の道なんかはだいぶすきだした。幹線道路に入るとまったく動かないので、カーナビ便りに細い道をジグザグしながら帰ったので、非常に神経を使った。
多少、自己満足に浸れる程度の行為をできたのは良かったと思う。

帰宅後見た映像は、未曾有のものだ。驚くべきものだ。あらゆる現実的な想像力を広げても及ばなかった、前代未聞の天変地異だ。
今後明らかにされる、あるいは誰にも知らないまま埋められてしまう、様々なドラマや英雄劇、悲劇があったのだろうし、今この時点でもリアルタイムに次々と起こっているのだと思う。助けを待っている、カウントダウンが始まっている生命がいくつもあるのだと思う。

ただ、それはテレビで放送していることだ。映像の力はすさまじく、多くの刺激を我々に与える。センセーショナルな出来事とテレビ放送というのは非常に相性が良い。
テレビの映像を見ると分かった気になってしまうが、それは危険なものだという気がする。(もしかすると地震以上に)
テレビで放映するのは事実ではあるが、事実の一部だ。事実の全体だと誤認して行動の判断を誤るのは危険だと思う。

ここ十年来、いろいろ野外での遊びの経験を積み重ねている。その経験から教わることがいくつかある。思いつくままに羅列してみる。
案外物が無くても、1週間くらい快適に生きていけること。
正しい情報をつかむことの重要性。
正しい判断を下すことの重要性。
常に冷静でいることの重要性。

人間の生命力は、電車が止まっても電気が止まっても困るほどヤワではない。地球の中で生活していくことのできる一生物なのである。
地震だろうと何だろうと、掃除でも炊事でもしながら落ち着いて生活していけばよい。

テレビの前に釘付けになっていても未来は生まれない。何かしら建設的に動こうと思い、色々荷物の整理に行く。
まぁ、睡眠不足がたたってぼーっとしながらの作業なので効率は上がらなかったが、とにかく作業はしたという満足感はある。

晩飯はいつもどおり、豪華でなくても日本酒に合わせたおいしいごはん。 日々の正しいごはんは、絶対必ず未来につながるのである。

2011/3/13(日)

自衛隊、東京電力等、現場で努力している方々には最大限の感謝と賛辞を送りたい。
ニュースから伝わってくる最新情報からは、まぁどのくらい正確な状況だかよくわからんし、細かいこともわからんが、自体に直面した現場の方々は、こういう場合自分の命も顧みずに全力を尽くすものだ。専門家でもなく現場に直面もしていない我々は、彼らを信頼して敬意を送っていよう。現場の彼らが全力を出せるよう、それ以外の人たちはバックアップしていくべきだ。

というわけで、原発がだいぶ大変そうな状況にあるが、今回の地震は単なる不幸な自然災害ではなく、これからの未来を考えるための一大転機になるはずだ。 もしかしたら100年後の世界には、地震の与える良い影響のほうが、様々な不幸よりも大きくできるかもしれない、とさえ思う。

2011年3月12日は、新しい時代の最初の1日になるはずだ

たとえば、原子力発電所について考える、またとない良い機会だと思う。
僕自身は原発は良いとも悪いとも思わないが、世の中平均より原子力発電所に肯定的なんじゃないかな。というか、原発反対の人の意見を、現実を無視したわがままを言っているように感じてきていた。

善悪の問題というより、どうやって発電するかは家計簿の収支の問題と同じだ。
原子力でも太陽光でも水力でも発電はできる。でもそれぞれの収入はちがう。現在の支出状況から、それぞれの収入をうまく遣り繰りする必要がある。

化石燃料はいずれ尽きるから先祖の遺産、水力・太陽光・風力等がサラリー、原子力は毎月必ず当たる宝くじとか、ボーナスみたいな感じだろうか。現在の我々の家計は、サラリーだけではとてもやっていけず、宝くじも先祖の遺産も駆使して家計をまわしているんだよな。

原子力みたいなあぶく銭を使うのは破滅への道だから使わないようにしよう、というのであればそれで良い。 が、その場合は先祖の遺産たる化石燃料に頼ることになる。それらはいずれ必ず枯渇する。

現在のサラリーだけで家計をまわそうというのであれば、電力需要を下げるしかない。だから原発反対運動をやるならば、心情的なものではなくオール電化住宅に反対するとか、エアコンは使わずに水浴びと火鉢で生活する提案をするとか、ワットあたりの電気代を2倍にするように運動するとか、そういうものになると思う。

今まではあまりそういう活動は聞かなかったが、それが強制される世の中がやってきた。 これから始まる生活を皆が体験することによって、原子力発電所をどう扱うべきかを考える材料になるはずだ。
火や水や風をコントロールしてきたように、原子力をより上手く扱えるように努力するのもひとつの答えだし(この宝くじは研究すればもっと当たる、というのも本当だと思う)、より賢い電力の使い方をすることで電力の消費を減らし、原発を不要にするというのもひとつの答えだと思う。

それらを皆が本当に自身の経験を以って考えることのできる、またとない社会実験の機会が与えられた。未来を判断するため、今後の生活は重要だ。

大地震前に木更津で買ってきた生海苔を使ってパスタを作る。バター、しょうゆ、新玉ねぎをからめて素晴らしい組み合わせ。 あまりに良い天気なので、外で食べることにした。
今日の好天は、散歩する我々にとって以上に、被災地にとって幸運なんじゃないかな。この暖かい日差しが、多くの人たちの生命を左右したんじゃないかと思う。


我々は社会の中で生きている。
人間社会は、産業革命くらいからかどんどん発展してきたのでだいぶ忘れてしまっているが、しかし人間社会というのは自然環境の上に存在するものだ。
我々は、社会の中に生きている以前に、自然環境の中に生きている。

自然環境は、常に変化していくのが常態である。生物であれば、その変化に対応して生きていかねばならないはずだが、我々は現代文明の中で生活しているので、そんなこと気にしなくても結構普通に生きてこれた。

地震と津波は、悪魔の仕業ではなく、風雨や海流と同じように自然環境の変化だ。ただ、それがかつてないほど大規模だっただけに、人間は本来自然環境の中で生きているということを思い出すきっかけになり得る。

2011年3月12日は、救助活動の始まりの日であるが、もしかしたら新しい時代の始まりの日にもなるんじゃないかと思っている。 大津波は日本列島の形を少し変えるくらいのパワーを持っていたが、人々の意識を変える力も持っている。

ここしばらく、我々人間の都合だけで考え、社会を発展させてきた。効率や経済性を強く重んじる社会、消費を煽ってお金を回すことで成り立たせる社会を作ってきた。
今回はあまりにもそちら側に傾きすぎると、自然サイドから物言いがついたようだ。 今後新生されていく世界は、もっと自然の側の都合も尊重してバランスをとっていく必要があるだろう。

再生の機会は与えられた。
今後、失われた地域を回復させるための長い活動が始まるだろう。それとともに、ついでに現代が持っているいろんな問題もひっくるめて解決してしまえ。 若者のやりがい創生、自然環境との折り合いのつけ方、エネルギー問題、食糧問題等々、絡めそうなことはたくさんあるだろう。

失われたものの多くは、残念ながらたぶん元に戻らない。が、新しい世界を創造する余地が生まれる。
悲しみを乗り越えた後は、大きな可能性があるんじゃないかと思っている。

東京はややヒステリー気味なようで、スーパーも品薄のようだ。 が、落ち着いて考えてみて欲しい。今、我々がそんなに困る必要はあるだろうか。
パンが無ければケーキを食べれば良いじゃないか。スーパーで品不足なら、つくしをとって食べれば良いじゃないか。

いや、スーパーが売り切れだったからつくしを食べたわけではない。春の日差しはこんなに暖かいのだから、つくしを食べたほうが良いにきまっている。
つくしは佃煮にすると悲しいほど小さくなってしまうらしいので、悲しくならないようにてんぷらにする。

出来は上々。てんぷらのスキルはまだまだ不足しているが、春の味覚たちは僕の料理の腕を穴埋めしてくれる。特に菜の花はジューシーで、ずいぶん美味しかった。つくしも、額をとらなくても美味しく食べられ、姿もカワイイ。
そこらへんに生えてる草だって立派なメインディッシュになるのだ。あせってスーパーで食材を溜め込む必要は無い。 食料が必要なのは、我々南関東の住人ではない。こんなときだからこそ、買い物の量を皆でいつもより少なめにするべきだと思うのだが。


天災よりも怖いのは判断力不足。自宅の食料が何日分あるか見積もってみよう。
豊臣秀吉が攻めてくるならともかく、10日分以上も買う必要あるだろうか。
必要な物資が必要なところに届けられるようにしよう。

2011/3/14(月)

ある程度予想していたこととはいえ、本当に実際味わってみると、びっくりするほど震災は僕の生活に影響を与えない。 ちゃりんこでどこまででもいけてしまうので、電車が止まったって影響ないし、冷暖房も元々無いし。
停電に備えて、冷凍庫のレディボーデンを慌てて食べつくしたくらいが震災に対する影響だろうか。

こんな事態だからこそ、いつもどおり暖簾を掲げていつもどおりの仕事をすべきだ。
のだが、どうもCADパソコンが動かないらしい。なんか会社も浮き足だっている雰囲気の中で、大した仕事もできずになんとなく過ごす。 こんな状態なら、スコップもってザックに米と寝袋つめて被災地向かいたいところだが、自粛しろって云っているしなぁ。

今日のごはんは、水餃子。昨夜MKちゃんが浮かれてスーパーで衝動買いした餃子の皮を使う。
食材あんまり使わないのに腹いっぱいになる、水も大して使わない、アウトドアでも作れる便利料理だ。 食料買い占めてる慌て者たちをあざ笑おう。

今日の具は、鮭フレーク、セロリ、玉ねぎ。味付けは味噌。何入れたって良いんだよな。

2011/3/15(火)

だから皆あせり過ぎだって!
なんだか原発事故が大変なことになっていて、まぁそれは本当に大変なようだが、我々はそこまで危険に晒されているのだろうか。

ここ数日でにわかに原発の情報が飛び交い、専門用語と数字が飛び交っている。 なんとかシーベルトと言われたって良く分からない。とは言え、理系の人間としては数字をもっと分かりやすく表現したほうが良さそうだ。 いろいろ調べてみたので、ちょっとまとめてみよう。


1ミリシーベルト=1000円借金で換算

通常:1年間2400円借金 (世界平均だからもっとたぶんばらつきがある。食べ物・レントゲン等の回数でばらつきがある。)

胸部レントゲン1回:6900円借金

宇宙飛行士若田さん:9万円借金

致死量はWIKIによると、
短期間にに200万円借金すると5%の確立で死ぬ
400万円で50%、700万円でほぼ死ぬ

日本の基準値:決死隊レベルで最大一時的に10万円借金する(JCO事故のとき)

一時間5万円借金する可能性のある地域:批難勧告の目安

●実は20万円の借金くらいはあっても良いらしいという原発専門家の意見も。(20万円までは、少しくらい借金あったほうが発ガン率下がる) http://mps.q.t.u-tokyo.ac.jp/~koshizuka/jco.htmlより

ということを踏まえて、今日の報道では、
3月15日の最大値

●福島市 23円(1時間あたりか?)

●北茨城市 5円

●新宿 0.8円

●3号機付近で40万円借金/時間

最悪パターンを考えると、体内に取り込むのは良くないらしい。原発の付近で雨に当たるのは良くなさそうだ。 数値的には、原発作業所付近で長時間ぼーっとしていると、白血病になってしまうかもしれない、というくらいのようだ。

朝日い新聞のグラフはけっこう分かりやすかった


これを踏まえると、普段は年間2400円のところが福島市1時間23円(=1年間続けば20万)なのだから、きわめて異常なことは間違いは無い。 とはいえ、福島や茨城でさえ、医療機器の100分の一以下だ。これを異常だ異常だと騒ぎ立てるマスコミは、何を煽動したいんだ?

そりゃあ危険はゼロではないだろう。でもそんな不安煽っていたら、ガンになる前に鬱病になってしまうじゃないか。発ガン率上がるものなんて、放射線に限ったものではないだろう。 放射線は目に見えないから、漠然とした不安を煽りやすい。が、人々のパニック、判断の過ちはもっと怖い。

はっきり言って、我々南関東の人間は、恵まれているのだ。すぐ近くに、我々の助けが必要な人がいっぱいいるのに。 自分の危険を顧みず、死ぬ思いで救助活動に携わっている方々もたくさんいるはずだ。我々が慌てていては、助かる生命も助からなくなってしまう。
具体的な危険に直面している人たちがいっぱいいるのだ。漠然とした雰囲気だけの危険にびびっている場合ではない。
まずは落ち着こう。リスクをちゃんと見極めよう。

今日も餃子の皮料理。昨日は普通の餃子だったから、別の可能性を試してみよう。
まずは揚げた餃子の皮に、レバーペーストを塗る。何かのディップを載せるベースとして、薄い餃子の皮はいい感じだ。パンより良いかも。

次にパイ風料理。皮とトマトピューレ、豚肉や玉ねぎを何層かに積み重ねる。オーブンレンジを使いたいところではあるが、ここは省エネ。電気は使わずにガスを使おう。 魚焼きグリルだけでは中まで火が通らなそうなので、2段階加熱。まずは蒸す。グリルは仕上げ。
これも良い出来。薄い豚肉使っているのでイタリア風だか中華風だか良く分からない感じだが。

アジア風のスープは、能登の魚醤に酢、ベランダのパクチーを使ったが、これも思い通りベトナム風になった。


テレビは週末に少し見たが、なんかセンセーショナルに煽るばかりで、思考の浅さに呆れてしまったので見る気がうせた。
主にラジオから情報を得ているが、ラジオのほうが良心的で気持ちいい。とは言え、全部が全部同意できるわけでもなく、訳分からん評論家も居た。 腹が立ったので、思わず投書してしまった。読まれなかったので、ここに転載しておく。

「今は慌てる時期ではありません。
他人を批難する時期でもありません。

現場では、東京の我々よりもはるかに危険な場所で頑張ってくれている人たちが居ます。
今すぐに助けを待っている生命がたくさんあるはずです。

確かに東京の生活も、普段よりは異常な状態かもしれません。
でも、放射能よりも怖いのは、われわれ市民のパニックではないでしょうか。

原発の問題、エネルギーの問題は、我々がエネルギーを贅沢に使ってきた結果です。
暖房の中で薄着をしてきた我々一人一人の責任です。
当事者として見届けましょう。
この難局は、エネルギーの使い方を見直し、本当に持続的社会を作るための糧になるはずです。

最後に、東京電力で頑張っている人たち、自衛隊の皆さんには最大限の敬意を評します。
最大限の感謝をします。」

2011/3/16(水)

僕はカメラ業界に勤務していて、ご存知のとおり日本のカメラ製品は世界に受け入れられている。世界に誇るべき日本のものづくりの一翼を担っている。
なぜこんなに日本製のカメラばかり勝てているのかというと、僕が普段から思うのは、日本の技術者が優秀だからではなく、日本の文化や日本人のモラルが受け入れられているのだと思っている。他の国の人たちだって、十分優秀だぜ。特に新興アジアの若者たちはよく勉強するし、日本人の優秀さや勤勉さなんて、あっという間に追いつかれてしまう。

でも、日本人の神経の細かさ、真面目さ、優しさなんかは、これは数値ではなくて文化だから、そう簡単に他の国の人たちに真似は出来ないんじゃないかな。で、そういう気質ははっきりと最終製品に出ている。それが日本メーカーの強みだと思っている。

日本人が世界に売れるものなんて、モラルしかないんじゃないかと思う。こんな地震程度でオタオタしていては情けない。無知や無恥は慎みたい。

今日のごはんは日本酒向き。炊飯器はやめて、久しぶりに鍋で米を炊く。おこげはいっぱい出来たがほっこりと炊けた。鍋で米炊くのは難しい技だと思っている現代人は多いようだが、そう難しいものでもないよ。出来不出来にばらつきはあるものの、食えないレベルになることはそんなにない。同じように研いで火にかけるだけ。

酒粕を焼いて食べてみた。醸造文化を讃えたくなる、豊かな幸せな美味しさ。米の芸術。焼いてもけっこうアルコール強いのね。

東電の説明が甘い、なんてことが言われているようだ。確かに後手後手にまわっている印象は強いが、理系専門家と一般の人たちのコミュニケーション方法が確立されていない、というのも根にあるんじゃないかな。
お互いに責任はあると思う。科学技術に携わるものとして、戒めもこめてそう思う。共通の知識を持たない者に正確な情報を伝えるのってとても難しく、面倒くさいからな。

東京電力の説明は、嘘をついているようには思えないが、それが伝わっているようにも思えない。(実はそんなに熱心に見ていないので、なんともいえないが)
東電側の説明者と、質問者が、共通の言語を使えていないから、意味が伝わらずに不安が広がっているのだろう。「絶対危険は無いんですか?」と質問されたら、常識的な科学者であれば、よほどの理論的に断言できることでなければ、常識的にすごく安全だとしても「可能性はゼロではありません」と答えるのが普通であるが、アナウンサーや視聴者はそういう受け取り方をしていないかもしれない。
本情報を伝える相手が、何も知識が無い人のときと専門家同士のときでは、伝えられる情報量も伝える方法も変えなきゃいけないんだが、それはできていないのだろう。

東電側にも問題はあるだろうが、我々一般人にも問題はある。
というか、我々は原発の受益者だ。我々一人一人が毎日快適な暮らしを享受した結果が今の状態だ。原発にリスクがあり、海沿いに立っていることなんて元々わかっていたことだろう。
東電や政府の文句を言う前に、一人一人が反省すべきことはあるだろう。

いくら原発が大問題といえど、永遠に続く問題ではなく、いつになるかは分からないがはやがて解決されるだろう。そのときに生かせるように、今の経験をしっかりと味わっておこう。


メールボックスを見たら、「会えないかな?」みたいな迷惑メールが平常どおりに復活して来た。きのうあたりは少なかった気がするが、妙なところで安心感。

2011/3/17(木)

予想された大規模停電は回避されたようだ。七輪出して魚でも焼こうかと思ったが、電気が通るならそこまでやらなくても良いか。 炒め物にする。これも魚醤がよく似合う。

今日もお米は鍋で炊いたが、かなり芸術的な出来。おかずがいらないくらいの美味さ。戦前の日本人は、今とは比較にならないくらい白米が好きだったというが、実は電気炊飯器の普及前のほうがお米の美味しさを引き出していたんじゃなかろうか、くらいに思ったりする。

というわけでこの機会だ。電機が不足しているのを幸いとして、あなたも一度、鍋でガス炊きでお米炊いてみたらどうだろう。お米を炊くという目的ひとつにしても、色んな方法を覚えておくとこういうときに便利だ。少し失敗することもあるかもしれないが、うまくいくととても嬉しい。停電中は、お米の炊き具合に一喜一憂しよう。
何しろこの電力不足は長期戦になりそうだからな。せっかくだから、少しくらい賢くなっても良かろう。

我が家はまだ停電にならない。あんまり文明的生活をしていないので、ほかのところに電気持っていってもらってかまわないのだが、近くに病院あるからだろうか。

2011/3/18(金)

まぁ、これからの経験を味わってから皆で味わってから考えてみればいいことだが、もう少し付け加えてみようか。

さしあたって考えることは2つ。わりとシンプルだ。
原発を使う/止めるということと、電力需要を減らす/減らさないということ。

ということで2×2の、4通りの選択肢がある。

1.原発を使い、電力需要を減らす未来

最も石油消費量を押さえられる。二酸化炭素輩出を減らし、もしかしたら最も人類が長生きできるかもしれない。原発も、今回の事故を教訓にすれば、より安全性を高められるだろう。 反面、経済活動は押さえられ、原発のリスクもゼロという訳ではない。

2.原発を使い、電力需要を減らさない未来

まぁ、これまでと同じである。原発の安全性は今よりも上げられるだろうが、世論が納得するかが問題。

3.原発を止めて、電力需要を減らす未来

現在の電力制限が未来永劫続く未来。電車の本数を減らし、無駄な電気を減らすことで、世の中を回して行けるかどうか。 現在よりも経済活動は滞るかもしれないが、そこは腕のみせどころ。

4.原発は止めて、電力需要を減らさない未来

化石燃料への依存が最も強くなる。 僕の感覚では最も愚かな選択肢だが、一番簡単なので、これを選んでしまう気もしないでもない。原発のリスクは無くなるが、将来のエネルギー問題には目をつぶる。

この中のどれか。すぐにはっきり決まらないかもしれないが、十年後には2に近い1とか、なんとなく大別はできるんじゃないかと思う。 (商用原発はとりあえず凍結し、安全性を高める研究は続ける、みたいな中間的な回答もある。)

今は皆が非常事態だと感じているから、いろんなことが起こっても、皆は仕方ないと受け止めるのではないかと思う。そういう状態の時には、いろんなことが起こればいい。その混乱を通して、何年か先の世界を考えるヒントがあるはずだ。

電車が止まるとどうにもならんなのか、最低限必要な電気って思ったよりも少ない、なのか。

一つのヒントは電気の使い方。数日前の日記では電気を給料に譬えたが、お金と電気はひとつ大きな違いがあり、皆たぶん結構そのことを誤解していると思う。

お金は貯められるけど、電気は貯められない。
いや、お金だって銀行預けておいても手数料やらもあるし、インフレデフレ等で価値が変わることもある。電気だって、蓄電池なんかもあるから、原理的にまったく貯められない訳でも無い。

もう一度家計に譬えると、電気は貯めておくとどんどん税金が取れれるような銀行に預けることしかできない、という感じかな。それが嫌だから、一旦外貨に変えたり商品券に変えたりするが、使おうとする時にすぐに使えなかったり、両替手数料を取られたりする。
必要な時に必要なだけ稼ぐのが一番いい。

電気は、使おうとした時に足りませんというのでは世の中が回らない。なので、発電所の数は、一番電力の需要が高まった時を想定して作られている。
ということは、発電所の数を減らすには、皆が電気を使う時間をちょっとずつずらすだけでも良い。30分毎に交替でクーラー切るとか、炊飯器使う時間をずらすとか。
今まではあまり気を使わずに電気を使ってきたが、皆で使い方を工夫するだけでずいぶん違うんじゃないかと思う。

もう一つ。
オール電化住宅というのが宣伝されているように、電気エネルギーというのは非常に使いやすく、たいてい何でもできる。万能のエネルギーである。
だけど、エネルギーの使い方も、もっと工夫するべきだと思う。

これもお金に譬えようか。資産の形って現金とか土地とか物とか有価証券とか色々あるが、電気は現金のような感じかな。資産はエネルギー。
で、いろんな形の資産を現金化するには、たいてい一度熱エネルギーという形の資産に変える。発電所というのは熱エネルギーからの換金所だが、やっぱりけっこう中間マージンを取られる。

という前提で、ふだん使っている電気機器を振り返ってみよう。
実に様々な用途に使われているが、消費電力の大きなものの特徴は、熱をつかさどる製品だ。エアコン、暖房、調理器具、冷蔵庫、そういったものだ。

これらの機器の使用目的を達成するのに電気が必須かというと、そんなことはない。
熱エネルギーを一度電気エネルギーに変え、それを再び熱エネルギーに変えている。大根売って作った現金で大根買うような行為であり、パチンコ玉を換金所で現金化したお金で、再びパチンコ玉買ってパチンコ打つようなものである。

大根食べたければ現金化せずにそのまま大根食べれば良いし、パチンコしたいならわざわざ現金化することも無かろう。熱が欲しければ、いちいち電気エネルギーに変えることも無い。

暖房はガスでも石油でもできる。ホットカーペット無くても、湯たんぽとか厚着とかで対応できる。冷房やワインクーラーも、そんなものがあるかどうかは知らないが、水道水の温度差や蒸発を使った水冷システムもありえそうだ。

どのエネルギーを使うか。どう使うか。適材適所な使い方があるはずだ。
電力減らすには我慢をするだけでなく、手段を工夫すれば良い。

わが家でやっていること。

・ネットの電源:モデム、無線LAN等は、別に常時つけておく必要ない。100円ショップで売っているスイッチ付タコ足使って、まとめてON/OFFできるようにしている。 普段は寝る前に消し、会社から帰って入れるくらいだったのを、使う時だけONというくらいに変更。

・冷蔵庫:小型のが2つある。一つは酒専用にしていたが、その使用を中止し、一つにした。

・炊飯器、電子レンジ、湯沸かし器:すべて使用を中止した。ガスがあればできるし、料理の段取りを工夫することで、なきゃ無いで何とかなる。

・冷暖房:貧乏なのでもともと無い。寒いときは布団。筋トレでも良い。断熱と日光で、暖房なくても何とかなる。

・テレビ:面白くないので処分した。ラジオはAC電源を止め、電池駆動に変更。

・ノートPC、携帯電話:充電は深夜電力を利用。電力ピーク時のノートPCは電池駆動にする。

使ってる電化製品は、基本的にはたぶんこれで全部。 冷蔵庫と蛍光灯ひとつあれば、結構生活ってできるものだと思った。
だいぶ電力使って無い方だと思う。登山中はインフラ無い生活になるので、普段もその延長上で考えてしまう。

別に皆さんに全部真似しろとは思わないが、少しでも参考になれば。

あ、あと懐中電灯用の乾電池が不足しているとか聞いたが、単一探すよりもLEDのライト買った方が賢いと思うよ。単3、単4で、100時間くらい持つ。とりあえず自転車部品コーナーで、2000円弱で売っている。


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