今月のデートコースは八ヶ岳の主峰、赤岳までの道。冬の3連休は山登りに行きたい。
先週の年末年始はけっこういろんな山小屋が営業していたが、この連休の選択肢はぐっと減る。赤岳は今週末まで稜線上の小屋が営業している、数少ない貴重なエリアだ。
諏訪IC近く、峠の釜飯おぎのやにて。
おぎのやは軽井沢の手前のはずだが、まぁ割と美味しいし、先方は存在を知らないようだし。
お釜をお土産にしていた。何かしら使えるだろう。
乗用車なので美濃戸まで入って行ける。
今日は赤岳鉱泉まで。約2時間、白い岩峰に向かって新雪をキュッキュと緩やかに登っていく、気持ちのよい道だ。
小屋にチェックインしたのちに、中山展望台へ向かう。
周囲の岩峰に夕日が映え、世界が赤くなっていた。その色は刻々と変わり、最も赤くなった瞬間の3分後に展望台に到着。
少し見逃した。いかんな。日暮れ前にボヤボヤしていたら。
いつもは、小屋に泊まっても大抵素泊まりにする。食事の時間が日の出/日の入りにぶつかることが多く、撮影に専念できないというのが大きな理由だ。相談すると夕日の時間くらいは考慮してくれることが多いが、僕は薄明が終わってしばらく過ぎるまで見ていたいので、調整が不可能なことが多い。
しかし今回は2食つきでお願いした。前回赤岳鉱泉に泊まった時に、周囲の人が美味しそうな夕食を食べていたので悔しかったからだ。
肉は柔らかく煮込んであったし、ポトフもとても美味しかったが、日暮れ後の美しさを見逃したことも事実だ。難しいところだ。
3連休で小屋は大盛況。
部屋は一杯のようで、臨時に談話室にも布団が敷かれ、そこをあてがわれた。同室だったのは最終的に4人。
トイレまでの通路となっている部屋で、人通りが多いのは落ち着かないものの、周囲の部屋より広々と使えた点は幸運だった。
なんとその4人のうちの一人が、僕の写真展を見にきてくれた人だった。
何度かメールをいただいて、この「今日のごはん」も読んでくれているらしい。最近は余計な事情を書いている気がするので、なんだか恥ずかしいぞ。
こういう時期にこういうところにくるのは世間が狭いもので、道中、ほかにも10日前の鳳凰山で見た二人連れに遭遇していたりする。
予想よりも天候が悪い。未明に再び中山展望台まで写真を撮りに行こうと計画していたのだが、終始雲は取れず、雪まで降って来る始末。朝食まで惰眠を貪ることになった。
さて今日はどうしようか。
予定では、稜線上の小屋から360°の夜景を見下ろすつもりだったが、天候が微妙だ。
この日知った山岳部の気象予報サイトによると、午後から夕方は天候の回復が望めるものの、その前後は霧と雪。昨夜と同じように、夜の早いうちから曇ってくるのだろうか。
赤岳登って下りてきて、昨日撮り逃した感のある中山展望台からのパノラマに再挑戦するという手もある。
稜線出れば大風が吹いているだろうが、こちらはほぼ無風なはず。赤岳鉱泉に連泊しても良いし、登山口まで難所は無いので、撮影後ヘッドライトをつけて下山することもできるだろう。
山麓は、たぶんずっと張れている。山岳部だけ雲に巻かれている状態だと思う。
雪が降っている現在も、3、4時間も移動すれば晴れの区域まで出られるんじゃないかな。
今日の夕方は、麓から八ヶ岳を見上げれば、確実にきれいな景色を見られるだろう。山頂部に雲がかかるなら、その外側にいた方が良い。
夕方はそれで良いとして、昼間はどうするか。天候が悪い中で山頂に行ったところで、面白味は半減する。モチベーションは上がらない。硫黄岳でお茶を濁すか。
まぁ、赤岳登る時間はあるし、厳冬期の登頂はそれなりに達成感もあるだろう。 小屋番の方も、「この気圧配置で崩れるのはおかしい。すぐ回復するだろう」と主張していたし、とりあえず行くか。
朝食が終わるとすぐに出発する真面目な中高年に遅れること2時間くらい、9時前に出発。一番遅い部類の出発だ。
荷物が軽いので、けっこうなスピードで登れる。
冬の赤岳は登山者が多く、トレースはとてもはっきりと着いている。道を探すよりもすれ違うのが大変だ。
降雪はあるものの、風が弱く行動はしやすい。
地蔵尾根の急斜面も、夏道よりも短い時間で登れたと思う。かなりの急な登りで、ときおり緊張を強いられるところもあったが、まぁ登りならばそれほど怖くない。
赤岳天望荘にて休憩、間食。なんだか、案外寒かった。
山荘から頂上はひと登り。30分足らずだったとおもう。風裏に回ったみたいだ。急な登りで、小屋にいる時よりも体が暖かい。
心配していたのは下山で、やっぱり行程の中で一番緊張した。文三郎尾根から降りていったが、こちらもかなり急斜面。地蔵尾根よりはきもち緩いかなという程度だが、大して変わらないかもしれない。
強靭な体力と根性を誇る同行者は、案外怖がりなようでヘッピリ腰でついてくる。「雪が少ない」とか何とか、責任を気象条件になすり付けていたが、まぁ山に文句を言っても仕方がない。いつものお転婆な姿とはうってかわり、珍しく女性的なひ弱さを示しているが、女性的な態度は他の場面で有効活用したほうが賢いのではないかと思う。
13時、そんなこんなで順調に赤岳鉱泉に到着。一休みして登山口へ。
天気予報がとても正確だった。下山するにつれ、だんだん青空が見えてくる。
時間的変化と、標高の変化と、両方あると思う。
●JAC Weather Forecast 冬山限定の天気予報。とても細かく、正確だった。残念ながら地域限定、季節限定。
宿泊は上諏訪。駅前に温泉があり、飲み屋の一軒くらいあるだろう、という狙い。
駅前は、甲州街道側にはビジネスホテル一軒もなかったが、反対側には結構あった。
飛び込みで見つかったのは、ビジネスホテルのような観光ホテルのような、大浴場もあってリーズナブルでそれなりに快適で、TPOにふさわしいところだった。
上諏訪の飲み屋にて。「信玄屋敷」といったかな。諏訪にとっては侵略者だ。
朝食以降は、行動食やら撮影しながら作ったラーメンやら、基本的にその場しのぎの食事だったので、とてもお腹がすいている。入店した途端ラストオーダーだったので、たっぷり注文。
うまい飲み屋だったな。特に日本酒が良かった。 うまかったのは「佐久の花」。日本酒研究会でも飲んだことがあるような、ないような。
僕の中のあやふやな地理感覚では、長野県の中心は長野市ではなく松本でもなく、古来より信濃を支配した諏訪一族の拠点である諏訪地方だ。主に武田信玄の小説から得た知識だ。
中央道や中央線で何度も通過しているエリアだが、まともに訪れるのは初めてな気がする。
諏訪というと、諏訪湖と諏訪大社がある。諏訪大社には、柱を祭る大きなお祭りがある。なんとなく知っているのはそれくらいだ。
パンフレットを見ると、どうやら今年はお祭りの年らしい。じゃあ今日は諏訪大社くらい見にいってみるか。
諏訪大社とそのお祭り、パンフレットを見るととても興味深い。 諏訪大社:上社と下社がある。上社は本宮と前宮、下社は春の宮と秋の宮、全部で4つ。 お祭りでは、それぞれの宮の4隅に柱を立てる。上社と下社は多少ルールが違うらしい。 諏訪大社もお祭りも、ルーツがよく分からないほど古いらしい。既に古事記の時期から記録に残っている。って、もう神話の世界じゃないか!それが平成の世に至るまで、わりと平然と続けているとは。 お祭りは7年おきとのこと。もう何回目になるのか、誰にも分からない。 なんとなく結び付いてきた。NHKのニュース映像で、巨大な丸太を坂の上から落とすお祭りを見るが、あれってここのお祭りだったのか。 そのへんにあった観光案内みると、上社本宮のそばに資料館がある。そこ行って勉強して、お宮のひとつ二つ見に行くか。
遊覧船やワカサギ釣りも出ていて、少しは魅かれたがとりあえずパス。釣れているかどうかまったく情報持っていないし、まったく準備せずに時合いも逃しているだろうし、分が悪いだろうと判断。
鰻丼と鰻重(並)が同じ値段でメニューに乗っていたので、それぞれ一つずつ注文。
皿が違う、肝吸い付とみそ汁付という点が違う、というくらいしか違いが分からなかったが、なぜ2種類あるのだろう。
わりと鰻屋が目立つ地域のようだが、ウナギたちは、はるばる天竜川登ってこんなところまで来るのだろうか。
このあたりは竜を信仰する地域で、蛇=竜の化身と考えているようだが、鰻もついでに信仰しているのだろうか。滝に登って竜になるのは鯉だっけ。諏訪神社は上諏訪から少し離れていて、車で15分くらいかな。
とりあえず隣の資料館で勉強。
そこで流れていたお祭の映像は、けっこう衝撃的だった。
人々の興奮、さまざまな伝統の儀式。
NHK特集っぽい映像が流れていたが、坂落としの場面なんか、こりゃかなりひいき目に見ても骨折程度じゃ済んでいないというか、この人死んだんじゃないか、というようなのが流れている。それもスローで。公共の場で、平然と。
7年に一度というのもすごく面白いよな。ワールドカップでさえ4年に一度だ。諏訪の人達は、すごく楽しみにしてるんじゃないかと想像する。 7年たてば、ずいぶん人もいれかわってるだろうし、記憶もやや曖昧になる。伝統はある程度守られるだろうし、ある程度新しい試みがなされるだろう。
その、伝統を守るというのと、新しい伝統を作っていくというののバランスが面白い。ただ昔と同じものをやるだけでは参加者たちは自由に表現ができないし、守るべき伝統がないと何やってるか分からない。
確かに、いろんな時代のものが取り入れられてる感じだ。行進中のラッパは、戦時中の軍隊のものだろう。 木遣り歌はそれよりだいぶ古いだろうが、林業の盛んだった時代、きこりが職業としてあったときのものだろう。狩猟採集の人達のものではない気がする。 となると、そのうち若者がヒップホップの要素いれたり、サポーターソングを入れたりしながら、その中で皆が受け入れたものが新しい伝統として残っていく、ということがあるだろうか。
枝葉を変えられるのは、守るべき基本思想があるからだ。理由はなんだか分からないが、山の上から木を切り出してきて皆で運ぶ。途中、様々な関門が待ち受けていて、死人が出ることもある。神社の周りに柱として立てて、神として仰ぐ。
中央線ができようと、中央高速ができようと、柱を運ぶルートは変えないというし、いろんなしきたり、儀式があるらしい。
戦後の大転換期、戦時中の動乱、明治維新、信長や信玄といった強力な支配者。そういう様々なものを乗り越え、古代とダイレクトにつながっている伝統。すげえな。
上社の柱には、メドテコという、ツノみたいのをつける。
威勢の良いおっさんたちがこの上に登り、それを皆で運ぶ。そのまま坂から落としたり、川を越えたりする。
絵としてすごいよな。
同行者は、上社で引いたおみくじが気に入らなかったらしい。お金払ってがっかりしているのだから世話はない。
下社でもう一度挑戦し、まったく同じ番号、同じくじをひいていた。再現性が証明され、信憑性が高まった。
下社では僕も引いてみた。「吉」だったかな。「養蚕」の欄は、充分利益がある、とのこと。
晩飯は松本で。以前食べに行った、川沿いのスパゲッティ屋さん。なんだか、顔を覚えられていた。
ミートソースが旨かったので、今回も注文。しっかりした、強い濃厚なソースと、モチっとした生パスタである。味が似ているわけではないが、イメージとしてはこってり系の豚骨ラーメンを連想させる。
トッピングはお薦めにしたがって、塩納豆。どんな組み合わせなんだろうと思ったが、けっこう違和感がない。こんな使い方もあるのか。 しっかりしたミートソースだから、キムチでも塩納豆でも、強いもの入れてもマッチしてしまう、という感じ。
調べれば調べるほど、諏訪大社はおもしろいなぁ。
今日ネットで見たこと。
・御柱祭は7年に1度→今の数え方だと6年に1度。申年と寅年に行なう。「7年に1度」という数え方は数え年によるもので、7年目に行なう。昔から慣用的に使ってる表現。
・死者の数は分からなかった。前々回くらいまで、毎回出ていたらしい。
たとえ死人が出ても、周囲はそれを隠すようだ。一方、どうも死者が出るくらい激しいということを誇りにしているようでもある。噂に尾鰭がつくこともありそうだ。どの程度の死傷者が出ているのか知りたかったが、闇に包まれている感じだ。
まぁ、木落としの映像見ていると、これは何人か死ぬよな、ということをやっている。 このご時世にそんなあらぶる神様を祀って高名になっているのは、どこか清々しい。お祭りで興奮し過ぎて死ぬのは、かなり良い死に方なんじゃないかと思ってる。
・このお祭りは、古来からけっこう生け贄を求めるお祭りのようだ。何しろ大和朝廷に追われた縄文人たちのお祭りだからな。鹿に限らず、童子も捧げていたらしい。
とすると、ご神体につぶされる血気盛んなヤクザなんかは、現代の生け贄なんだろうか。なんか当人たちも死者が出ることを許容しているようだし。
何に対する生け贄なんだろう。神様?人々の総意?
まぁ神の意志というのも、突き詰めれば人々の意志だから、なにか生け贄を求める効能ってあるのだろうな。
なんか、いろいろな想像が広がる。
例えば、このお祭のルーツについて。昔は、神主さんは単なる神社の管理人ではなく、教祖であり諏訪地方の支配者である強力な王様であったわけだ。
それが、自分の支配力を示したい、支配地域の忠誠心を試したいという理由で、それぞれの地域に木材を出させ、総出で運ばせたのではないか。断ったものには神罰が下るとか、おどしをかけながら。
そんな、単なる示威活動のために村人に葬式や結婚式もさせず、ということであれば、まったくひどい話だが、そんなに間違っていない気がする。
理由がどうあれ、地域の人々にとっても喜ばしいものだったのだろう。何しろ、有史以来受け入れられ続けているのだから。皆との協同作業により得られる一体感、達成感、神への信仰心。6年に一度の大興奮。
久しぶりに家で食事。
冷蔵庫には食材がほとんど入っていなかったが、最近は買い物に行くのが面倒だ。有り合わせで済ませた。
純潔の残り物料理なわけだが、そのへんの定食屋で受動的な晩ごはんにするよりも、充実感を感じるな。