東京で見るべきところってどこだろう。
まずは、築地を選んだ。
天下の台所、世界一の魚市場、日本食に興味を示す彼女たちには良いのではないかと思う。
場内、場外とずらっと回る。鮮魚を買いたくなってしまうが、今日の晩飯に使うあてがないのでぐっと我慢。 イタリア人たちは、生わさびとサメ肌、和風の皿などを土産に買っていた。
彼らの泊まっていた上野の旅館にあったノート。
ニュージーランドあたりを旅行すると、値段も安く情報も手に入りやすい宿屋が各地にある。
日本を旅する外国人のためにもそういう宿屋があるのだろうかと思っていたが、あるところにはあるのか。
ビジネスのためでなく、家族旅行のためでもなく、旅人のための宿屋っていうニオイがした。
異国で限りない親切を受けると、その国民に対しての尊敬が高まると同時に、自分の国の人たちは大丈夫だろうかと心配になる。我々は島国に育ち、他者に対してなんらかの偏見や距離感を持っていると思う。 混雑した大都市に住み、他者に対して無関心になっている。そんな我々には、僕がこれまで受けてきたような親切を与えることは難しいのではないかと心配だった。
ところが我が友人たちは、日本にきて人々の親切さに感動した、と言っている。
字も読めず右も左も分からない状態で難渋していたら、通りかかったおばさんがわざわざ目的地まで一緒に連れきてくれただとか、まさに僕が受けてきたような親切をされた、という。
非常にうれしく思った。
ここのところ、悲しいことに我々のモラルは実感できる程度に下がっていることが多いと思う。が、我々日本人はまだ結構大丈夫なんだな。彼らに親切にしてくれた人たちには、顔も名前も分からないが、感謝している。
ちょうど江戸川の花火大会がある。皆で見に行くことにする。
いつもどおり、時間が押して途中から見ることになる。
僕は花火ってたぶんあまり好きではなく、大きな花火大会をまじめに見に行く機会ってそんなになかった。
えらいこと込み合って大変なんだなぁ。
花火はとても素晴らしかった。結局は江戸川の土手まで行って、後半は十分に楽しむことができた。
起承転結があるというか、ストーリー性を感じられる。盛り上がるところがちゃんと作られていて、「おぉー凄いぞ!」と、何度も声をあげてしまう。
花火が終わり、人々が帰路につく。まぁしばらくは人で埋まってるだろう。 河原のほうは、もう少しましな場所が空いたので、そこにブルーシートを広げて宴会を続けた。
午後から再び東京案内。秋葉原や新宿での買い物につきあった。 買い物では女性を満足させておけばよいというのは、洋の東西を問わないのではないかと思う。
彼女たちが素敵な弁当箱探している間に、僕はビール自作キットを見つけてしまったので衝動買い。 やはり自分の手で一度作ってみなければ、理解は深まらない。一度は作ってみようと思う。一度作ったら満足してしまうかもしれないけど。
東急ハンズの上の会で食べたてんぷらが、今回イタリアーノたちと食べる最後の食事。 お膳たのんでビールと日本酒を少しずつ、科学者の性質、グチみたいなことで盛り上がった。
最後はカラオケ。相伴するのが僕とまっちゃんで良いのかとも思ったが、共通して知っていそうなアニソンや英語の歌を皆で歌って、とても楽しかった。カラオケなんていつ以来だろう。
これでお別れ。
2週間一緒にいた我々も、明日からは地球の反対側同士。
5年前、一晩一緒にいただけなのにまた再開できたから、いつかまた合えるのではないかと思う。いつ、どんな形だか分からないけど、そういう意志をもち続けていれば、そうなる。
晩飯を自炊したのはいつ以来だろう。
こんなに期間が空いたのは、実家を離れてから初めてかもしれない。
夏休み前の、最後のホテル泊。
定食屋でかつおの刺身。この定食屋、味噌汁がうまいともっと使いたいのだが。
出張先からの帰り道、大学の研究室の懇親会に顔を出す。
僕がいた当時と、技術内容の基本は変わっていないようだが、ずいぶんと売り込み先を変えているようでびっくりした。
確かに、同じことをやるにしてもどういうところに使うかで注目度は変わる。そういうのを見つけるのも重要だ。
学生たちもなかなか鼻息が荒く、頼もしい感じだった。やっぱりなかなかのものだと思う。
何食ったか忘れた。
たぶん残り物料理だと思う。
夏休み前の最後の出勤日。 ヤキトリの写真が残ってるから、家でヤキトリ焼いて食ったのだろう。