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2009/6/20(土)

昼前から結婚式でダイカン山へ。
同期入社の鉄道マニア、Mっつんと、小笠原で知り合ったという奥さんの挙式は、人前式というスタイルだった。

人前式、聞きなれない言葉だが、友人の話では10年位前からあるらしい。我々は無宗教だから、馴染みの無い神様に誓うよりも、参列した人々に対して宣言し、誓う。そういう考え方なんだろうが、けっこうシックリくる考え方なんじゃないかと思う。 以前友人の結婚式に参加したときに考えたことに近い。

結婚式でも葬式でも、そういう冠婚葬祭に参加すると、我々東京人には、既に何の伝統も無いのだな、ということを実感する。 これを守っておけばよい、という形式が何も無い。何でもアリの自由自在だが、積み重ねてきたものがない、という軽薄さも感じる。
どこかで、たぶん戦後か高度成長期あたりで、今までの伝統を知らないうちに捨ててしまったのだと思う。文化が高いのだか低いのだか分からない。

まぁ、この多様性も悪いことじゃない。各人がそれぞれ苦労して工夫していくうちに、いくつかが取捨選択されていって、新しい伝統作っていくかのもしれない。

ブーケトスの代わりに、全員参加のなんとかトスということで、新郎新婦が節分のモチ撒きのようにお菓子を数個放り投げる。

元同居人の恋人が喜び勇んでそれをキャッチ。
相変わらずだなぁ、子供がたくさん参加していたから、彼らが受け取ったほうが良さそうなものだが。

そう思っていたのに、次の一投では迂闊なことに僕がキャッチしてしまった。ちょうど頭上に落ちてきたので、危ねえと思って。
背の高さが災いした。

結婚式料理って豪華に見えるだけで、ゆっくり食べている暇がなく無駄にビールばかり飲んでいることが多いが、確かに美味しいところ探したというだけあって、ずいぶん美味しい料理屋さんだった。

前菜に出てきたヒラメおよび鮭のカルパッチョ、メインの山形牛が特筆すべき出来。すげーモノがいいやつ使ってた。
ワインも美味しかったな。

司会のお姉さんが、やたらと「サプライズ」などと仰々しい言葉を連呼して、民放のスポーツの実況みたいだった。
やたらと煽り立てなくても、ちゃんと人生に何度とない厳粛な節目の場になるんじゃないかと思うが。

夫婦ともども、電車好きということで結構なことだ。今後は、夫⇔電車⇔妻という三角関係に発展することを期待している。

大部分の時間を、上様と二人で馬鹿話をして過ごす。人生の何割かは、想像力の限りを尽くして何の意味も無い馬鹿話をしている気もする。

中途半端なかくし芸や、二次会にありがちなビンゴ大会がない、というのは僕には良かった。 つまらない芸やゲームよりも楽しめる会話っていうのは存在すると思う。

新郎の交友関係は僕とけっこう重なってるから、けっこう知った顔ばかりで変わり映えがしない、というのもあるが。

二次会のお店の前の店で三次会。 5年前の新人研修の続きやってるようなメンバーで、ダラダラ焼酎呑む。気心の知れた仲間ではあるが、ものすごく久しぶりにしか会わなかったりする。会えないというより、単に会っていない。

仕事の話が多くなったよな。サラリーマンらしく、愚痴も言うようになった。
皆仕事が好きで一生懸命やってるから、といえばそんな気もする。
仕事と時間に追われて若さを失ってる、といえばそんな気もする。

6月の屋外で酒を飲むのは気持ちいい。あとで無粋な警官が巡回に来て注意されてたようだが。

2009/6/21(日)

久しぶりに家でゆっくり寝坊して、ダラダラ「今日のごはん」更新するような雨の日曜日。
珍しく同居人が気合入れて掃除してた。僕もやらないとなぁ、とは思うのだが、少し手をつけたくらい。

晩飯は祖母の家へ。圧力鍋と余った布団をもらってきた。

2009/6/22(月)

どんどんどんどん、時が経つ。2009年も気が付いたら夏至を過ぎ、19時過ぎても明るかったりする。
夏がやってくるのもあっと言う間だし、過ぎていくのもあっと言う間だろう。 ちょっと油断すれば、あぁ今年も年賀状かかなきゃなどと言っていそうだ。

2009/6/23(火)

まぁ確かに、ちゃんと決められた日程で確実に新製品を出さなくてはいけない。 一刻も早く他社に先駆けて新製品を出したいこのご時世、日程というのは最初からけっこうギリギリの日程を要求される。その中で確実に結果を出していくのも、プロフェッショナルに求められることだろう。

でもなぁ。どこかで見たことあるような物作ってもしょうがないじゃないか。
我々が作ってるのは新製品なんだから、どこかに遊びや冒険や挑戦を入れたい。いつまでもクレーム逃れの格好悪い部品使っていないで、可能性ありそうな機能なら試してみたい。

失敗恐れて従来品使い回していると、あとで痛い目みるんじゃないか? 新しい物開発するから開発者なのであって、今までどおりのもの使い回すだけなら模倣者だ。開発者の存在意義がなくなってしまうぞ。

自分で誇れるような仕事を残していきたいのだ。
言われたことやって給料もらうために会社があるのではなく、技術者がやりたいことを実現する場を提供するために(格好良いカメラ作って皆にすげえって言われるために)会社があるくらいに思っているのだが、それじゃ牧笛には本末転倒だ。

というような出来事があった。
まぁ確かに、試作しているヒマはない。ぶつけ本番で試すわけにもいかないから、仕方がないといえば仕方がない。
でも、失敗できる余裕が与えられていないというのも問題だよなぁ。そりゃ新製品速く出したい気持ちは分かるが、会社はもっと我々開発者の自己満足を重要視するべきだ。

2009/6/24(水)

圧力鍋に初挑戦。 まずは豚バラの塊からでしょ。
マニュアルもらってきて無いので、ネットで検索した時間を参考にして適当に調理。

とりあえず10分くらい茹でたが、さすがにそれほど柔らかくなっていない。もう一度投入。
感動するほどではないが、だいぶ柔らかくなった。

おっかなびっくり使ったのでまだ良くわからんが、とりあえず及第点かな。使う手順がわかったし、おばあちゃんちにあった鍋、使い古されて入るが、技術者的に安物でない感じがした。 何時間も煮込まなくてもタマネギがトロトロになっていたし、使いこなせば楽しそうだ。 鍋に与えたエネルギーが、効率よく調理に使われてる感じがする。熱力学的に正しい、良い道具だね。

2009/6/25(木)

日本では昔から、白米が信仰されていて、現代でもその風潮はやや残る。
すなわち、食事の時にはごはんがないと絶対だめだという人種は存在する。どんな献立でも、とにかくごはんが欲しいというあの人たちである。

僕自身も、そこまではひどくないがもしかしたらその一派かもしれない。 というか、お米を炊いた方が献立がシックリきて、落ち着く感じはする。ごはんがあった方が楽なのだ。

しかし今日は久しぶりに22時まで残業した。久しぶりに遅くなると、手番の長い米炊きが煩わしく感じられる。米無しのメニューを考えよう。
ということで、お酒を主軸にしたつまみメニューを作った。

豆腐は昨日よりもちゃんとできた。あしたば刻んで入れたが、可も不可も無い感じの味。 昨日の豆腐がゆるかったのは、にがりが少なかったのかと推測している。

2009/6/26(金)

現在わが家の糠床は、かなり良いコンディションなんじゃないかな。 ゴーヤの糠漬け食ってそう思った。
あまり手をかけられてる訳じゃないが、しばらく前に入れた卵のからが効いているのだろうか。

料理は生き物だ、という言葉は、糠漬けやどぶろく食っていると、比喩でもなんでもなく、まさにそのまんまの状態を描写する言葉だ。微生物の働き如何によって、おいしくもなり臭くもなる。
「好きな食べ物は糠漬け」と言うより、「好きな食べ物は、状態の良い時の糠漬け」あるいは「好きな食べ物は2005年6月20日にできた、奇跡的においしかった糠漬け」というほうが正確な表現になる。

食べ物が生き物なのは、何も微生物による発酵食品の専売特許ではなく、食べ物というのは本来そういうものだ、ということに気づいた。そして、その基本的事実を忘れるくらい、食材たちを単なる物質的なものとして捕らえていることに気づいた。なんという世の中だ。(と、世の中に責任転嫁しておく)

そうだ我々は生き物の命を食べて生きているのだ。
スーパーで1割引になっているまぐろの切り身だって、100g68円の鶏の胸肉だって、元は親も子もあるはずの生き物だった。そいつら殺して食べていくのが我々の生活だ。

そのことを思い出して、傲慢かつ謙虚に生きていようと思う。


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