年末は燕岳登山。燕山荘の正月営業を利用して、冬の北アルプスの稜線を楽しもうという狙い。
今回の登山計画は、むしろ出発する前もかなりの難関で、本当に実行できるかも懸念していた。;
いつもよりちょっと早目、21時過ぎに残業を切り上げ、22時にウィークリーマンションに戻る。契約が切れ、もう部屋を出るので、荷物を全部まとめる必要がある。
最低限の荷物にしておいたつもりだが、ノートPCに着替え、調味料、予想以上に多く、とてもデイパックには入らない。段ボールに詰め込んで宅配便に頼む時間もなく、スーパーのレジ袋などに無理やり詰め込む。
駅へ駆け込み、自転車を畳んで輪行袋に詰め込み、新幹線の最終電車に間に合う。週末夜の上りでは座席確保も難しく、狭いデッキで荷物を並べるのも恐縮だが、まぁ所詮30分。
大宮から池袋までの埼京線はまぁどうにかなるが、その先の山手線や下り方面は年末の週末深夜、酔っ払いたちで車内は充満している。自転車を置くスペースを確保できる気がしない。池袋から自転車で走ることになる。20km程度だろうか。まぁ池袋新宿間も大学のころに通い慣れた道だし、新宿から現在の自宅も何回か通っている。普通に走るならなんてことはない。
が、今回は十数kgの荷物がある。リュック一つは良いとして、ほかにレジ袋3つ分ほどをどうするか。手でもったままでは、とても20kmも自転車こげる気がしない。どうにかこうにか、リュックにくくりつける。
自分があまり他人の目を気にしないことは知っていたが、それを再認識する。
この時の僕の格好は、これはジャンルとしては何だろう。
自転車旅行者としては、荷物の積み方が不安定すぎる。
空き缶を山ほど積んでるホームレスらしき人たちが一番近そうだが、それにしちゃスポーティなロードレーサー乗ってるし、幹線道路を走ってる。
なんらかの事情で夜逃げをしている人、というのが正確だろう。
まぁ、以上のような事情なわけだが。
腹は減っているものの、道の途中で満腹になったら、集中が切れてそのあとの道程がきつくなる。家の近くのラーメン屋でようやく晩飯にありついて、帰宅したら午前2時ごろだっただろうか。
9割がた終わらせていたパッキングの残りを行なって就寝し、4時間ほど眠って6時過ぎに起床。
また自宅にタッチ&ゴーで出発。
ということで、会社が終わってから集合時間までの約12時間、引っ越しやら大移動やら、新幹線って自転車乗って特急乗って、どうしようかとも思ったが、まぁなんとかなるもんだ。最近は割と無理が多い計画でも実行できてしまうから便利なものだ。
冬季の燕岳は、登山口の中房温泉までのバスが運休になる。もう1日行程を追加して、林道を歩いて行かねばならない。
秘湯として名高い中房温泉、連絡してみると冬季の営業もやっている。
初日の行程はそこまでの12km。前日の雪が積もっているかもしれないが、林道歩きなので特に問題もないだろう。
10時半に穂高駅に到着、同行する友人と合流し、その自家用車で宮城ゲートまで同乗させてもらう。駅から宮城ゲートまではそれほど長いドライブではないが、なんだかんだで11時半ごろ出発。
積雪は、ほとんどない。前日の雪は、大して降らなかったようで、道路をうっすらと隠す程度だ。
まぁ、どうしても単調な道ではある。こういうときに同行者がいるのは有難いもので、「つららだー」とか「有明山カッコイー」とか言いながら歩いていく。
困難といえば、トイレに行きたいが、立ちションしてしまうかどうかを悩むくらいのもので、約4時間の行程、15時半ごろ到着。
歩いている時に、「よく染み込んだ大根の煮物が食べたい」とか云っていたら本当に出てきた。夢がかなった。
音に聞く中房温泉。
湯船がたくさんあると聞いていたが、冬季はその中の4つが解放され、食前と食後にひとつずつ入った。
肌に滑らかな、柔らかい温泉。宿泊者以外には一部の湯船しか公開していない。
わざわざ夏場に一泊することは少ないだろうから、この温泉に泊まるきっかけを与えるというだけでもこの冬場のコースは魅力が上がると思う。この季節は4時間歩かないと入れないというのも、ありがたみがある感じで良い。
ダラダラ酒宴。今回の参加者はお酒飲む人ばかりだから、どうしてもそうなる。酒を飲みながら、基本的にはお酒と食べ物の話ばかりすることになる。
中房温泉は山小屋なのか普通の温泉宿なのか微妙なところだが、電線が通っているという意味では普通の温泉宿なんだろうか。
コタツが嬉しい。
9時が門限だが、個室なのでそこまで厳格ではない。どこぞの貧乏学生の下宿のようである。
計画のオプションとしては、雪があまりにもひどいときはそのまま撤退して、近場の温泉で酒飲むなり、八ヶ岳方面に転進するという戦略もあった。
が、昨日の感じでは、まったく危険な感じはしない。それほどの困難なく、登頂できそうだ。
登山者も多く、トレースもはっきりついているだろう。
登山教室の団体を先行させて、7時半過ぎに出発。
すごく歩きやすい。
風もない。雪が余計な音のすべてを吸収して、聞こえてくるのは自分の呼吸音と足音、それに近くの登山者の足音くらい。
第一ベンチでアイゼン装着、第2ベンチはほぼ休憩なし、第3ベンチ、富士見ベンチはちょっとずつ休憩したかな。
人気のあるこのルート、いい感じに踏まれていて、合戦小屋まではむしろ夏道よりも歩きやすく、時間も同程度。
合戦小屋からは事情が変わる。森林限界を突破し、風が強くなる。
残念ながら展望はないが、強風が雪を運び、噴水のように流して行く様子に足を止めて見入ってしまう。見入っていると痛いほど冷たいのだけれど。
燕山荘は、稜線に出てすぐのところにある。
のだが、合戦尾根から登った場合、まず小屋の裏手に出るため、小屋の玄関まではちょっと廻る必要がある。大きな小屋なので、100mくらい歩くだろうか。
このわずか100mでも、歩行が困難になるくらいの強風が吹き続け、難渋する。あぁこれが冬の北アルプスに吹く風なのか。
山の上の世界はやっぱり劇的で、少なくても僕が行く時はいつもそうだ。
口では楽観的に「夕方には晴れて、夕日きれいに見えるといい」などとは言っていたものの、登ってる時の様子だと、まぁ無理だろうな、今夜もダラダラ酒飲むか、という印象だった。
一度暖かい小屋の中に入ってしまえば、もう外のマイナス20度の烈風が吹く灰色の世界には出たくない。
ところが夕日の時間が近づくにつれ、外の世界が明るくなる。雲が切れ、青空が見えはじめ、燕岳が、夕日が、そしてついには槍ヶ岳までが姿を現す。
こうなると、酒飲んで寝っ転がってるわけにもいかない。興奮してカメラをもって、外の世界に討って出ることになる。
興奮させる必要がある。何しろ身体をなぎ倒すような風が吹き続け、あっと言う間に体温奪う風が吹き続け、感覚をマヒさせるような風が吹き続け、それが小雪や小石を含んでとても痛いから、正気じゃ対峙していられない。
「槍が見えたー」とか「雲を吹き飛ばせー」とか何とか叫びながら、その合間に出鱈目にシャッターを押すことになる。
冬の北アルプスの稜線は、やはり人外の地だと思う。普通は人間に許された領域ではなく、せいぜい訓練を重ねた人間が入れるくらい。そういうところならではの厳しさと美しさがあるところなのだが、そういう場所に僕程度の経験でも何の問題もなく入れて、しかも何の我慢もなく快適に一夜が過ごせる。
すごいことだ。
燕山荘の宿泊料は2食つき、1万円。
これを安いと見るか高いと思うかは人それぞれだろうけど、この小屋がなければこの場にいられず、こういう経験は得られなかったと思う。
細かくは何が出たか覚えていないが、心くばりのある、酒のつまみになりそうな小品がたくさん出てきた印象。
芋焼酎ストレートがサービスで出てきた。
身体が冷えきっても、コタツがある。
お酒をこぼしても、机の上に凍りつかない。
外に出れば立っていられないような風が吹き続けるが、小屋の中は、静かで暖かい空間。たまにいびきが聞こえるくらい。
三脚のネジが折れる。−20℃となると物性も変わり、靭性が失われたことも原因の一つかもしれない。
曹操の故事に倣って、水を接着剤として利用することを思いつく。
この温度下では、高性能のホットメルトボンドになる気がしたが、うまくいかず。
仮止めはできたので、もうちょっと頑張ればうまくいったかもしれない。可能性は感じた。
治具と技の問題だと思う。
カメラの予備電池を忘れたことに気づき、長時間露光に踏み切れなくなる。 中判カメラも調子悪いし、友人が撮っているカメラも何だかトラブル発生、有り合わせの道具でごまかしながら使ってる状態。 いくつか保険を用意していても、何の憂いもなく撮影できることは少ない。せっかくすばらしい条件なのだから、人間の方のミスはなくしたいと思っているのだが。
例によって星が出てるうちに起き始め、写真撮影なぞに精を出す訳だが、目を覚まして驚いた。
昨夜あんなにゴーゴー吹いていた風が止み、静かな星空が大空に広がっている。
またしても、自分の運の良さに驚く。
その流れで、真っ赤な朝日も雲一つない空に昇ってくる。今日は理想的な一日になるだろう。
朝食後、燕岳を目指す。
小屋からは片道30分ほどのところだが、昨日のような状況ならおそらく生命を削るような思いで歩くことになっただろう。
が、今日はうってかわってウキウキでルンルンな感じ。群青色の空と、白い峰峰を見ているだけで何でこんなに気持ち良くなるんだろう。年末の稜線上は、たとえ雪が降ったとしても強風ですぐに飛ばされてしまうのか、積雪はかなり少ない。
下山の合戦尾根は、春山のよう。のどかな景色、広がる展望、歩くと暑い。
雪山の下山は、楽で楽しい。
中房温泉からゲートまで、やはり林道は閉口する。
アスファルトの帰り道が疲れた。往路と同程度の時間だが、往路よりも辛かった。16時ごろ、日が沈む前にゲートに到着。
松本駅前の地元にて酒と食べ物を出してくれそうな、あまりきれいでない飲み屋へ入る。 狙い通り、そういう感じの飲み屋メニューが出てきたので良かったと思う。片っ端から日本酒を注文。
日本酒、気に入ったのは何だったかな。銘柄うろ覚えだが、たぶん「木曽路雪もろみ」というやつがおいしかった。前飲んだ「十二六」に似ていて、料理に合う訳ではないが上品で軽い甘さ。
夕方から閉店まで、結局5時間くらい飲み続けることになる。
1日登山したとか言っても、実は酒飲んでる時間の方が長いのではないかという説も浮上する。
なんだか店主に、「兄ちゃん酒強いね〜」とずいぶんおだてて(?)もらった。
まぁせっかくだから、松本観光をふらっとしてから帰ることにする。
とりあえず松本城。
城と大名の名が結び付かなかったが、やはり江戸期に重要度が上がったところみたいだ。
知らない町を歩くのはおもしろい。
ことに、松本が城下町で、未だ古い雰囲気を残しながらも平成の世に入ってるところが。タイムスリップしたようなそうでもないような、テーマパークのようなそうでもないような、郷愁とシュールが同居している感じが非常に良かった。
ここがぶっ飛んだ。旧開智学校。
なんなんだこの不安定感は!?
何故天使と龍なんだ?西洋なのか中華なのか?
それにしちゃあの天使、相撲取りっぽくてキリスト教らしさを感じさせないぞ。
なぜ十字架ではなく風見鶏でもなく、東西南北なんだ?
あのレンガ模様のウソっぽさ。
とにかく、漠然と外国と聞いただけで想像するものを具象化したとか、宇宙の異文明が、一枚の写真だけをもとに無理やり地球人の住居を復元してみたとか、そういう印象。確かになんとなく技術というか金かけてる感じもするのだが、それがすごく平面的だ。
すぐ隣に、この学校を模した校舎を持つ公立の小学校があるのだが、そちらのほうがよっぽど落ち着いて見られる。
明治時代、この地方の近代教育を一手に引き受けたらしい。 一応観光案内にかいてあるし、遠くもないようだから行っただけなのだが、完全に油断していた。こんなトンデモ物件だったとは。
上記のような印象はそうアテが外れたものではなく、擬洋風建築というらしい。 明治のころ、西洋の教育を浮けていない宮大工さんなんかが、見よう見まねで作った洋館なので、このような不思議な和洋折衷になったみたいだ。
○Wiki「擬洋風」
確かに奔放な造詣だった。休館中で、中が見られなかったのは惜しい。
同居人とともに夕飯食べるのは久しぶりな気がする。
Mっちゃんがこういう人なのは、Mっちゃんの母親がああいう人だから。
昨年、一緒に五島へ旅行した我々は、何だか妙に納得してしまった。
そして新たな興味が生じる。Mっちゃんの他の家族は、どういう人なのだろう。
それを探るチャンス到来。Mっちゃん家の年越し宴会に招かれたので参加。 ヨソ様の一族のお集まりに出てしまってよいのか、そういう躊躇はしないほうが良いと思う。 実際、一緒に五島いった人達とか、五島旅行にも関係が無い僕の会社の同期なんかもノコノコ来ているので、山の賑わいを構成する枯葉のひとつとなることにする。
予想どおり、たいへん楽しい宴席だった。中華が主体で、炒め物にタラコを使っているところなんかなるほどなぁ、と思った。
五島からもおいしい魚介類が空輸されていて、ヒラス(関東で言うヒラマサだと思う)、イセエビ、あわび、なまこなんかが出てきて、豪華絢爛。僕はなんだか魚切りキャラとして認識されているようで、お刺身さばくの手伝ってきた。
Mっちゃん一族、全員がああいう人だと言うわけではなかったが、全員が朗らかで楽しい人だということは確認できたんじゃないかと思う。
帰り道、皆で除夜の鐘をつきに行く。
初詣とかカウントダウンとか、そういうごみごみしたイベントはあまり関心がなかったが、まぁ時間も都合良いしな、という程度で寒い中並んだ。
しかし知らなかった。除夜の鐘つくのがこんなに楽しいものだったとは。
すげー快感。