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2008/11/8(土)

・よく寝た一日だった。

山野井日記はおもしろい。

・ようやくホテル生活脱出できそうだ。

2008/11/9(日)

友人の買い物に付き合い、新宿の登山道具屋巡り。 フリース2000円購入。衣類を買ったのっていつ以来だろう。

竹馬の友、来訪。 僕の日記しょっちゅう見てるくせに、いざ料理作ってやったら驚かれた。 ここ20年以上、年に数度しか会わないがそのたびに濃厚な時間を持つ、という関係が続いている。 それが、毎週毎日会うような状態になると、どういう関係性になっていくのだろう。小学校のときはそうしていたが、それともまた違うものになるのだろうか。 どのようになっていくか楽しみだ。

2008/11/10(月)

お吸い物がすごくおいしてびっくりする。
かつおだしたっぷりとって、人参やらタマネギやら煮込んで、能登の魚醤、いしるを入れる。奥様もお試しあれ。

牛肉には、友人からもらった韓国の調味料、サムジャンと八丈島ガーデン荘のうまきゃみそを混ぜてお湯で溶いた。エバラ焼き肉のたれに近い味になった。

2008/11/11(火)

本日から脱ホテル生活。ようやく部屋を借りてもらった。

会社終わってから再び会社行くまでの時間なんて、たかだか7、8時間程度とはいえ、その中でできることはホテル生活とは違うんじゃないかと思う。

さっそく、帰り道にスーパーで食材を買う。その行為が無性に嬉しい。たかが買い物するだけで、こんなに楽しいとは。

明日へ持ち越しの問題点
・電灯のスイッチの場所が分からない
・皿が無い
・包丁が無い
・ネット接続の設定しなきゃ
・炊飯器は故障中なのか?

というわけで、初日の生活水準は相当に低い。
とりわけ、調理器具不足を一気にごまかしてくれることを期待して、炊き込みご飯をセットした炊飯器がちゃんと機能してくれないのが大打撃だ。 こんな事態も予想して、インスタント食品も買っとこうかなとは思ったのだが買わなかった。仕方が無いので野菜をかじってる。ナイフもないのは閉口だが。

まぁしかし、目の前に向上させるべき生活がある。楽しみだ。今日は空腹だが。

2008/11/12(水)

生活向上のために何を購入するか。物を買い過ぎても、あとで邪魔になる。高価な物でなくても、捨てるのも忍びないし。
最小の物品で、最大の効果を発揮できる物を買いたい。

というわけで、鍋、皿2つ、せっけんなんかを購入した。また、リュックの中に果物ナイフが入っていたのを発見した。

どこにでもあるようなものだが、それで生活水準が一気に上がる。昨日は父母より授かった我が歯を刃と化して野菜を加工していたが、今日はそんなことしなくていい。ちょっとさびついたナイフとは言え、野菜を薄く切ることができるし、鍋で過熱することができる。お皿にもったものを食べられる。

炊き具合に不満が残るとは言え、炊飯器も作動したし、電灯スイッチの場所も分かった。生活水準が上がって嬉しい。


鍋買った。テフロン加工で500円くらい。ヤカンは備え付け。
ウィークリーマンション、器具はあったりなかったり、中途半端で迷う。

重要なのは微分値だ。昨日から、こんなに生活が良くなったので幸せを感じる。人間は相対的な感覚のほうが鋭い。良い生活をし続けるより、昨日よりも良い生活ができるから幸せなのだ。
じゃあ、一回貧乏になってスタートした方が幸せなんじゃないか、って気もする。


20平米くらいだったかな。結構広さを感じる。

2008/11/13(木)

今日も22時まで働いて、最終バスを目の前で逃す。
この状況で家まで帰るには、だれかにお願いして車に乗せてもらう必要がある。 しかしなんだかそれも大義だし、駐車場まで20分も歩いて行くのも馬鹿らしい。

となると、最後の選択肢。家まで走ってみることにする。

というわけで畑の中の幹線道路脇の道を走る。生きている人間は完全に姿を見せず、車がビュンビュン走り過ぎるのみ。車社会は、地方に行くほど人がいない。 頭の中を、人類絶望後の別文明が栄えている世界の中で、ひとり黙々と走っているという設定にする。
しかしまぁ恐ろしく体力が無くなっている。最近の運動不足状態のヤバさを実感する。

結局家までは50分かかった。 家を出る時間が7時ちょうどであれば、最終バスを目指して駅までダッシュするよりも、会社目指してジョギングして行った方が確実に間に合う、ということになる。

それなりにがんばって走ったが、目標があればもっと早いのかもしれないが、仕事前に全力疾走するのもどうかとも思う。

2008/11/14(金)

普段自炊していれば、たまのラーメンも楽しみだ。

山本 七平「一下級将校の見た帝国陸軍」

今日の仕事中は、頭の中に「パリは燃えているか」の荘厳なテーマが流れていた。昔NHKでやっていた、「20世紀映像の時代」のテーマ曲になっていたやつ。
その理由を推測するに、混乱する開発現場に対して、破綻しつつある日程が厳粛にやってきてるから、という以外にも最近よく太平洋戦争の本を読んでるから、ということもあるだろう。

この本は、単に戦争のころの思い出話を書いているだけでなく、それを徹底的に分析して、日本と日本人のことを書いている。 司馬遼太郎はほとんど太平洋戦争のことを書いていないが、まれに「なんであんなことになってしまったんだろう」と、ものすごく憤慨している記述がある。その憤慨を具体的に、冷静に、自分自身のことまで深く追求して書いている、という感じ。 実際に戦友たちも死んでいき、自分自身も死を覚悟していった中で、ここまで分析するのって精神的に辛いんじゃないかと思う。 どうしてもやらざるを得ないのかもな、とも思う。

当時の日本軍は、ひどく幼くヒステリックで、どうしようもない組織だったようだ。たぶん本当にそうだったのだろう。 日本がアメリカに負けたのは、資源などに圧倒的な国力差があったからだ、などとよく言われるが、こういうのを読むと資源などと言う前に、もっと根本的なところが原因なんじゃないかと思う。システムの作り方というか、ものの考え方lというか、そういうところで。 こういうやり方じゃ、たぶん同程度の国力をもっていたところで結果は変わらなかっただろう。

梯 久美子「散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道」

硫黄島のことが頭から離れない。日本側の資料も読んでみる。

例の硫黄島の2本の映画監督の言葉、最初は日本側の映画は日本人監督にやってもらうつもりだったが、調べて行くうちに日本もアメリカも変わらないということが分かった。だから二本とも私が監督をした、というのを読んだが、まさにこの言葉どおりの印象。
どちらの国も、素晴らしい人間たちが、他人のために自らの命を犠牲にして、殺し合いを繰り広げて死んでいった。

ただ、日本側の内容を読んで、また印象が変わったところ、知識が増えたところもある。

・栗林中将はたいへん優しい人だったようだ。
・アメリカ側の話では、日本はものすごい近代的で強力な要塞を作った印象だが、日本はそれを、乏しい物資の中でなんとか作り上げたようだ。
・アメリカは20歳そこそこの若い兵士が多く、仲間のために戦う姿が印象的だったが、日本側はもうちょっと上の世代(若者は既に招集し尽くしたらしい)、 女房子供を国に残して戦っている。
家族を作る前の若者が死んで行くのも切ないが、守るべきものを残して死を覚悟するというのも、格別なものがある。

著者は、現代の価値観でもって戦時中の人の生き方を判断してるのが少し気になった。 僕も分かってる訳ではないのだが、たぶん我々があたりまえだ、人間が本来自然にもってる価値観だ、と思ってる価値観はけっこう時代の影響を受けているんじゃないかと思ってる。現代の幸福観、死生観で当時の人たちの人生を論ずるのは、何か違うんじゃないかな、と思った。

やっぱり硫黄島に行ってみたくなる。
小笠原が世界遺産登録を目指しているが、石門や南島を自然遺産にするよりも、硫黄島の要塞後を文化遺産にする方がふさわしいんじゃないかと思う。 そこで人々が繰り広げた工夫と死闘、人間の愚かさとか素晴らしさとかを後世に伝えられる、人類が忘れちゃいけない場所のように感じる。まだ遺体がいっぱいあって難しいのかもしれないが、そういうのも含めて。


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