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2008/10/25(土)

第4回日本酒研究会。

準備中

茨城の酒、山桜桃。ゆすらと読むらしい。火入れしていない生酒。
ひこ孫の方は何年か寝かせていて、黄色っぽく色がついてる。こちらは埼玉。 まろやかな味になっていて、桝で飲んでる時に感じるような香りがある。
原料はどちらも山田錦だったと思う。どちらもおいしかったが、強いて言えば生酒のほうが好みだっただろうか。

どぶろくは初体験。密造酒ではなく、正式な許可を得た酒造が作ってるらしい。
もっと下品な、野性的な味を想像していたが、意外や割とお洒落な味だった。 甘くて微炭酸で、二次会の時に飲むカクテルの代わりになりそうだ。 アルコール分6%、微炭酸ということで、米原料版のビール、というところなのだろうか。 甘酒と似たような風味で、もっと酒粕臭さがない気がする。食事には会わないが、食前酒でも割と良いのかもしれない。

三島文雄、これが今回一番気に入ったかな。
出雲の小さな酒造の酒だが、Nさん宅近所の酒屋がコネ持っていて手に入るらしい。 大吟醸にする前の、濾す上の方ということで、ちょっと酒粕が残っている。そのかわり随分お買い得な値段らしい。 高級酒の中落ち、というところかな。

今回は食べる方に徹するつもりだったが、内蔵料理の担当を命ぜられる。 ちょっと焦がしてしまったのは、酔っ払っていたためではなく慣れない電磁調理器を使ったから、ということにしておく。

そうめんうりも初めて食べた。こんなものが実の中に入っているとは、なんて人間にとって都合のいい植物なんだ。山本家特性のにんにく醤油かけたら、やたらとおいしかった。

豚バラが一番おいしかったかな。塩麹に数時間漬け込んだバラ肉かたまりを、切ってオーブンで焼いたらしい。

2008/10/26(日)

ジェイムス ブラッドリー「硫黄島の星条旗」

先週図書館でなんとなく借りた一冊。この一週間はずっとこの本に夢中だった。
先日大ヒットした2本の映画(僕はまだ見てない)の、アメリカ側の原作なのかなと思ったが、「父親たちの星条旗」は同一作者の別の作品のようだ。(訂正:やっぱりこの本が原作だった)

硫黄島の戦争をテーマにしてるというより、有名になった写真に写った国旗掲揚者たちの人生を描いている。著者はその中の一人の子供なので、ジャーナリスト視線ではなく当事者の一人として、親しい人達の人生を分析してこの作品を描いている。

だからなのか、この作品を読んで強く印象づけられるのは、他者をいたわる思いやりの心だ。阿鼻叫喚の殺し合いが続く地獄の戦場(形容詞ひとことで簡単に表すことはできない。詳しく知るしかない)を背景にして、素朴で素直な若者たちがお互いを助け合いながら、傷つき、死んでいく。
戦場の描写も目を離せなくなるが、その前後、それぞれがどういう少年時代を過ごし、どういう戦後を送ったかということも描いている。そのあたりの、20世紀の時代の雰囲気と個人の人生の関係もすごく面白かった。

僕の視線はアメリカの片田舎の少年になり、インディアンになり、日本兵に殺される海兵隊の一兵士になり、かわいい部下に生存の見込みのない命令をださねばいけない上官になり、洞窟で自爆する日本兵になり、日本兵の奮闘を見守る一国民になる。
そういう一場面一場面で、殺し合いをしてる時も、心ならずも英雄視された時も、それぞれがお互いを思いやっている。

両軍が死力を尽くして戦ったので、悲惨な戦場になった。その結果、日本兵はほとんど死に絶え、アメリカ側の生き残りも終生トラウマが残って、幸福な人生を遅れた人は少数らしい。
しかし、不謹慎な考えなんだろうが、両軍が死力を尽くしたことに安心感を覚えてしまう。日本兵が工夫をこらしてアメリカ兵を殺していったことを讃えたい気持ちになるし、アメリカ海兵隊もそれに一歩も譲らずに勇気を出して日本兵を殺していくことを誉めたくなってしまう。
それは、別の戦場では片方の軍がおろかな戦略とって大虐殺になってしまう例、何の意味もなく何十万人が死んでいくような例がたくさんあって、硫黄島の戦いには死んでいく意味を与えて後世から称賛できるからなんだろうけど、死んでいった兵士たちに対して、良いスポーツの試合をみた後に両軍の勇気を讃えるのは、やりたくなるけどやってはいけないんだろうな。

日本人は独創性がないと言われるが、実際にはそうではないという皮肉な実例がこの時代の戦争にはたくさんあるんじゃないかと思った。
僕は20世紀は悲惨な時代だったと思ってるが、その中のいくつかは日本オリジンなのでは。

ベトナム戦争も硫黄島のゲリラ戦参考にしているだろうし、アジア各地で起こった大虐殺も、日本軍がその伝統作ったのかもしれない。9・11テロも、世界中の人が「カミカゼだ」と、日本語の単語の感想を持ったんじゃないかと思う。

我々の先祖は強く、独創的で勇敢だった。
誇りに思って良いのかどうか、判断に迷う。

僕が当時の世界を生きていたら、どういう人生送っただろう。
僕の祖父のように、教師になって徴兵されずにリベラルな姿勢保ったかもしれないとも思う。
軍の研究所にでも入って、一生懸命独創的な殺人兵器考えていたんじゃないかとも思う。
南方戦線の守備隊の一兵となって、割と素直にお国のために、爆弾抱えて敵に突っ込んだかもしれないし、仲間が死んでいくのを見ながら、最後の一兵となって敵の目盗んで水を探しに行ったのかもしれない。
上層部の理不尽な命令に対し、単純にまっすぐ反発してあっさり絞首刑になったかもしれないし、社会主義にかぶれて地下へ潜るのかもしれない。

僕もその年代に生きていたら、あの世代の誰かが生きたような人生を送るのだと思う。だから何が悪で誰が正義だ、とかは分からない。
その人生の中にも幸せはあるだろうが、何かしら戦争に関わって、たぶん僕の今の年齢までは生きていないんじゃないかな。やっぱり50年前よりは今の時代のほうで良かったと思う。

僕はもちろん硫黄島はいったことがないが(原則一般市民は入れない)、そのご近所の小笠原には何度も旅行している。
小笠原はよく「手付かずの自然」というように形容されるが、僕が感じる印象はそうではないし、実際に調べてもそうではない。

小笠原で印象的なのはやっぱり戦争の傷痕だ。島中、いたるところに塹壕、洞窟、砲台なんかが残っている。いくつかの洞窟の入り口には入ってみたが、10mも入ると完全に真っ暗になる。その奥にはどのくらいに空間が広がっているのか、見当もつかない。ただ、当時の若者たちが、国のために、自分の周りの人たちを守るために、そういう教育を受けながら、死を脅えながら、苦しみながら作っていったんだろうな、ということは想像できる。そういう若者、僕の祖父と父の間くらいの年代の若者の遺骸が、あの洞窟の奥にも少しくらい残っていても不思議は無いよな。
小笠原はそういうふうに、戦争の時代を体感できるくらいの距離に感じられる場所だと思う。

硫黄島で激戦があった、というくらいは知っていたが、詳しくは知らなかった。
小笠原に行き始めてから興味がわいてきたが、これで概要が分かり、もっと興味がわいた。

というように、いろいろ書きたい感想がたくさん出てくるような良書だった。
感動って言葉を使うのはあまり好きじゃないが、感動したんだと思う。

2008/10/27(月)

今日は駅前でママチャリレンタルして会社へ行った。
ノー残業デイで、足があるので行動範囲を広げる。途中にあるでかいショッピングモールで延々と立ち読みを続け、食事をとって帰宅したら、途中で豪雨にあった。

2008/10/28(火)

そろそろホテル生活も飽きてきたので部屋を探してもらいたい。 そういう希望を言ったら、いろんな上司たちがすごく心配してきてくれた。 それは大変ありがたいのだが、それがなかなか実行されない。僕は今、ややイレギュラーな勤務態形のため、そういう行動は原則からはずれ、調整に時間かかってるみたいだ。
大企業、めんどくさい。

別に部長たちに心配してもらおうと思ったのではなく、経理か総務のおばちゃんたちにテキトーに書類処理してもらえればそれで良いのだが。 金額的にもホテル泊と同じか安いくらいだし、本人にとってそのほうが便利でそう希望しているのだから、さっさとそういう対応とっても良さそうなものだが。
というわけでなかなか自炊に戻れず。本日はコンビニ弁当。

現在設計している製品。いちゃもんつける係の人に、いちゃもんつけられた。
我々設計陣は、相反する2つの条件の中で、なんとかバランス見ながら、その中で最高のものというのを作ろうとしている。 そりゃ文句つけようとすれば簡単だ。 どちらかの条件一つなら誰も文句言えないようなもの作れるが、2つの条件を百点にすることは原理的にできない。前から説明しているのに、もう。
っていうほうが今日のグチの、主要なほう。

2008/10/29(水)

製品開発はなかなか忙しい局面に来ているが、明日明後日は職場に戻る。今週はホテル生活2泊のみ。
家に帰って冷蔵庫あけると、食材が少ない。この機会に、冷蔵庫の肥やしになりつつあるような食材を一気に殲滅する作戦に出た。 あとは乾物とか缶詰とか。さがすとけっこうある。

最近は、全然同居人の姿を見ていない。月曜に家を出て、金曜に帰ってきたときも、台所などもあまり使われた形跡も無く、そのまま一週間分ホコリがたまってるだけである。実は同居人というのは架空の存在なのではないか、という気がしてきた。
さすがに今日は居るだろうと思ったが、また居なかった。微妙に物の位置は変わっているので、実在はしているのだろうが。

2008/10/30(木)

今日も残り物料理。
とりあえず、めぼしい食材をキムチとともに煮て、鍋的なスープを中心に据える。
たまねぎばかりはたくさんあるので、水に晒し、昨日あけた缶詰コーンかけて、あとは目についたナンプラーでもかけておいてもう一皿。
冷凍しておいたえりんぎと、ベランダからちぎってきたあしたば、やはり玉ねぎ、これを炒める。残っていたすき焼きのたれと、ダシとった残りのカツブシで味付け。
そして久しぶりに漬けただいこん糠漬け。ぬか菌たちは、思ったほど劣悪な環境になってる訳でもないようだ。
こういう残り物料理は、最後まで何ができるか分からないから(決めてないから)楽しいなぁ。


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