夏の延長戦は小笠原。
なんだかずいぶん時間がない中で支度。一週間ぶりに自宅へ帰って、滞在8時間の中で、荷造りして工作して宅配便取りに行って睡眠もとらなきゃいけない。
まぁなんやかんや、深く頭を使って考えず、目の前のことをこなしていって乗船、出帆。
船の中で落ち着いて、正気を戻したころに八丈島。
昨年のオーストラリア旅行もやたらと忙しい中で旅行に出発し、あぁ落ち着いた何やろっかなと思ったのはキャンプ場の芝の上だったが、今年はこの八丈島の夕焼け。
今回は一人旅ではないのだが、考えてみれば、友人の恋人と二人で旅行いくっていうのもずいぶん穏やかではない話だ。しかし我々の間ではごく普通の、なんの違和感もない行動だと思っている。なぜそう思えるかは、話が長くなるから割愛。 (むしろ彼女が僕の友人を恋人にしているから気楽に一緒に旅行できるとさえ思うし、たまには一人になる時間与えた方が友人も気楽なんじゃないか、くらいに想像している)
半ば強引に休みつなげて2航海。12連休かな。
そんなによく休めるなと言われるが、どうせ年に一度は休暇とれって言われる。仕事の負荷を見て、忙しくないときにとるっていうのが理想なんだろうが、年間計画見て、このときに取ろうとか考えても、計画はほとんどの場合ずれ込む。一番忙しくないと予想される時が、実際には忙しさのピークになることは、むしろ普通だ。
様子を見ているうちに休暇をとるタイミングを逸し、年末になんだかよく分からない消化の仕方をするのももったいない。
自分が一番休みたい時に休むっていうのが、案外周囲の了解もえやすいし、悪くない選択なんじゃないかと思う。
おがまるの食堂にて、900円。
可も不可もなく、という値段で味も可も不可もなく、という感じかな。毎食カップラーメンよりだいぶ良いと思う。
船はまぁ、台湾付近の台風の影響が出てきたためか、多少のうねりで多少は揺れているが、それほどでもない。
金曜の朝出発して、父島につくのが土曜の昼。そこから船を乗りつぎ、夕方に母島へ着く。遊び始めるのはそれからだから、「皆は今頃仕事してるんだろうな」という優越感と罪悪感が入り交じった変な感情を感じるころには、他の人もすでに連休に入っている。実際に皆が働いている時間は、僕は太平洋のど真ん中でエンジン音を聞きながら、浅い眠りに入っているんじゃないかと思う。酔止めのためか、船の揺れのためか、何も考えずにぼーっとしている。
ははじま丸に乗り換え。割と時間がないので、パン買ってきて食べる。
小笠原の海の色は、ボニンブルーと呼ばれている。漢字で書くと無人青。普通は漢字で書かないが。
絵の具の色には無い。小笠原に行けば見られる。
では写真で、と撮ってみる。それに似た感じの色は写らない訳ではないが、やはりだいぶ違う。例えばアゲハチョウの紋様を写真で撮っても、ある方向から撮った一断面を写してるだけだ。 写真で表現されるのって2次元平面にRGBで表したデータだが、実物は3次元構造をもっている。 色に関しても多分そうで、小笠原の海の色も、透明感や深さを感じさせる、3次元的なものだと思う。そうなるとそれを見るには同じように3次元的な仕組みが必要で、やっぱり実際に行って見るしかない。小型化したモデルじゃ多分その色を再現できないだろう。
ゴールデンウィーク以外の季節に来るのは初めてだ。やっぱりとても暑い。
お日様をたっぷり浴びて育った野菜、香辛料を使った料理をとてもおいしく感じる。酢漬けにしてタマネギ刻んだやつと和えたような、鮭の料理が特によかった。
せっかくカヤック組んだのだし、そりゃ海に出たくなる。
暑いんだから海と戯れよう。
とりあえずは何度か行ったことのある、南方面へ行くことにする。
蓬莱根で音骨夫妻と合流するという計画。
海況は、台風の影響かうねりがちょっとある。まぁ海に出ても危険な感じでもないが、浅瀬に近づくのは恐い。
野菜がおいしい。冷たいビールがおいしい。
この季節の海は快適だ。いくら泳いでいても、深いところ潜っていても、全然寒くない。温水プールに浸かっているような海。暑い地上よりも快適といって良い。 そんな心地良い空間に、いろんな魚とか気持ち悪いサンゴとか、おもしろいものがたくさん詰まっている。今日は耳抜きも調子よく、自由に潜って行ける。
おくら、きゅうり、にがうり、しかくまめあたりがこの時期の島の野菜みたいだ。
シャシャップという、珍しい果物をいただく。 ヨーグルトのような洋梨のような、不思議な味で表現が難しいが、とりあえずおいしい。
キノコを愛してやまない学生からキノコのことを聞く。やっぱり小笠原にはいろんな人が集まってくる。
今日はどこへ行こうか。カヤックが一艇、今日も音骨嫁と一緒に遊ぶ、海況などを考え、出した結論はカヤック畳んで北港又は東港までもって行く。そこを拠点に、付近の湾内を周遊しよう。
これまでも構想したことはあったが、車を手配する面倒さが障壁となって実行しなかったプランだ。
東港は、日陰がなくて暑い。北港で遊ぶことにする。
意外とタザワさんもササキさんもまだ手をつけていないエリアだ。この機会に彼らを出し抜いておこう。
出港パーティーの音骨ライブ。
こちらに来てから作った曲は初めて聞く。昨日一緒に遊びにいったことが既に曲になっていてびっくりだ。
恵子さんと僕でだいぶリクエストして、ずいぶん酷使させた感じのライブになった。よく声出るなぁ。
マリオのこの先について熱く語る。
向こうはは冷静な中学生だが、こちらは酔っ払ったおじさんだ。
酒が入ると、正確性に欠けた曖昧な論旨の発言が多くなってくる。
そういう普段では言わないことの中にも、何かのヒントが含まれていれば良いと思うのだが、率は相当低いだろうな。
小笠原旅行の日数の数え方は、1航海、2航海という「航海」という単位になる。全体日数では1航海につき5泊6日という換算式が成り立つが、島に滞在する期間で考えると、移動日を考慮してN航海=(6N−3)泊という換算式になる。さらに、遊べる日数で考えると、N航海=(6N−3.5)となる。
何が言いたいかというと、1航海では2日ちょっとしか遊べないのに対し(6日もかけているのに)、倍の時間かけて2航海行ければ8.5日、3倍以上遊べる時間が増える。断然お得である。
それだけあれば、時間に余裕も生まれる。しかも僕は母島のみの滞在なので、ツアーの手配も細かい計画も特に必要ない。 天気とユキカちゃんの都合聞いて、その日にやりたいこと考えていけば良い。
というわけで今日の午前中のイベントは洗濯とははじま丸見送り。 防波堤から海に飛び込むのは素晴らしく気持ちが良い。
本来、アウトドアで食べるためにおにぎり注文していた訳だが、特に必要もなくなった。計画を立てていた訳でもないので、YHの食堂で食べることになる。
しかしこのおにぎりのおいしさはどういうことだろう。
恵子さんからアラ煮の差し入れもあり、こちらもたいへんおいしかった。
はるばる母島まで来て、マンがと昼寝で一日を過ごす。それで終わらせるのもある意味贅沢だが、もう少し活動的なこともやっておきたい。
昼食後の一休みが終わったら、乳房山まで行ってみよう、ということにする。なんだかんだで出発は15時前、夕日の時間を考えると割とギリギリの時間になるが、まぁ大丈夫だろう。
母島最高峰、乳房山、486m。母の乳房っていうのもすごい名前だ。登るのは最初の年に来て以来だから、4年ぶりくらいか。
時折海が見えたり、高山のような山肌が見えたりするが、基本的には森の中を歩く。亜熱帯の密林、水木しげる的世界の中を歩いていく。
頂上までは1時間強、周囲を見渡せば360度の海洋を見渡せる、気持ちのよいピークだ。
そして下りも気持ちが良い。海を見ながらの切り立った稜線歩き、空を飛んでいるような気分になる。
ユースのお客さんもだいぶ入れ替わった。
新しく会った人たちと酒宴。農業がどうだ、医療がこうだと、初対面の人たちと熱く議論。
朝食後、北港を目指す。音骨夫妻、ユースのお客さんと共に総勢5名。
太陽に照らされた小笠原の空気は濃密で、時には息苦しささえ感じることもある。ようするに暑い。そんなときは一も二もなく、海に飛び込もう。
北港には昔、集落があったという。当時そこに住んでいたゴン爺の案内で、彼が昔埋めたという家財を掘り起こしに行く冒険が唐突に始まった。
笹をかき分け、格闘すること数十分、ついに目的の場所までたどり着く。が、木々の生長により、そう簡単に掘り起こすこともできず。
このガジュマルの下に、いろんなものが埋まってるらしい。宝物とかガラクタとか思い出とか。
洞窟の同定に挑戦。
湾内の、岸から見て左側に約10個、右側に5個あった。名前をつけておきたいかな。
空が赤く染まる。そんな気配がしたので夕日ポイントまで走って行った。
大変おいしかったのでおかわりをする。
腹一杯なのだが、飲み会に誘われてたので参加する。
どこへ出掛けても、その途中で必ず声をかけてくれる漁師のおっちゃん。彼にナンパされて、母島在住の方々と交流をはかった。
どこへ行っても話題の中心はオトボネになる。良くも悪くも。
ご近所めぐりの一日。
マンガ読んでだらだらしていると昼飯時になってしまうので、せめて小剣崎くらいには登ることにする。
小剣崎、標高111.5m。片道15分、ギョサンでも登れてしまう母島の名峰である。山椒は小粒でも、あるいは島唐辛子は小粒でも、圧倒的な存在感を示すのと同様、簡単に登れるのに岩場も大展望もある、手軽なのに楽しいところだ。
よく晴れた日は小剣崎に登って、遠くの海を見ているのに限る。
昼食後は、ははじま丸見送り。昨日一所に飲みに行った人たちが父島へ向かう。皆もっと母島の滞在時間を長くすれば良いのにと思いながら、桟橋から飛び込む。
今日の海水浴は近所の脇浜で。お手軽な浜だが、サンゴの気持ち悪さと魚影の濃さは侮れない。
夕方はオトボネ邸訪問。トレーラーハウスと聞いていたが、中身は普通の家で快適そうだ。
完成前の画集を見せてもらった。
近所でゆっくりの一日だったが、いろいろやってけっこう疲れた。消灯前に眠る。
昨日の音骨邸からのHP更新は失敗に終わった。
マックだとどうも勝手がわからん。
しかし母島もIT化は進んでおり、村役場でネットが使える。1時間400円。3、4日分の「今日のごはん」更新。毎日遊んでいるので、日記にかくべき内容がどんどんたまっていく。
今日の海水浴は万年青年浜(おもとはま)。同行人、オトボネ嫁と3人で、ひと泳ぎ+貝殻拾い。
そして今日のメインイベント。
僕が母島でやり残している課題、乳房山からの夜景を撮りにいく。
母島はキャンプ禁止だが、それは宿泊所を決めずにうろうろするようなバクパッカーが居ると困るという感じのもののようで、宿を取った上でどこかに野宿をするというのは大丈夫なようだ。
いちおう一晩いるつもりで、夕方登って日の出見て降りてくる計画。海から戻りユースにタッチ&ゴー、16時すぎに出発。標高460mなので1時間程度だが、一息で登るという感じにはならず。体力の衰えを感じた。
日付が変わったころから雲が増え、撮りにくくなる。疲れたし帰るか、ということにすると、通り雨が降り始める。濡れたり、晴れ間をついて写真撮ったりしながら、暗いジャングルの中を下山。
今日も北港へ。音骨は弾薬庫跡へ音楽の練習へ行き、我々3人は海へ行く。
今日もいろいろ作ってもらって、楽しいピクニック
飯を食えば眠くなるが、カヤックもやる。
状況がよければ北港から東港までいってみようと思っていたが、風、波ともにあってあんまり良くない。その上、僕自身にやる気がないことが分かった。近くの浜に上陸した程度で帰ってくる。
では桟橋のそばで、沈したときの練習をする。周囲の人たちはエスキモーロールを期待していたようだが、まぁそれは難しそうだし必須の技術でもないらしい。
しかしこりゃ沖で沈したら相当大変だぞ。課題はまだまだ多い。
ユースに戻って洗艇。
昨年も食べた気がするが、血合い料理が大変おいしい。
真似したくなる。
道を歩くたびに声をかけてくれる、漁師石田さん。
今日も飲もうということになって、YHの同宿者たちと島っ娘へ出掛ける。
地元の住民と観光客の距離が近いのも、母島の魅力だと思う。 すでに島民の1割近くと知り合いなんじゃないだろうか。
母島で遊べる最終日。
数日前の飲み会で知り合った、母島在住のWさんの船に乗せてもらう。
ユースの同宿者たちを募ったら定員一杯の五人集まり、にぎやかだ。
さすがに動力船は早い。蓬莱根、南崎とぐるっとまわり、あっと言う間に平島へ。
プレジャーボートで島に上陸するのって、少なくても僕はやったことがない。どうやるんだろと思ったが、慎重に操船して砂浜の波打ち際につける。けっこう気を使う作業だと思うが、こうやるんだっていうイメージがつかめた。
平島は、南崎の南西にある無人島。カヤックでも来れるが、一日ツアーになるので気楽には来れない。僕は初上陸だ。 Wさんは、我々をおろしてそのまま沖釣りに行ってしまったので、無人島に我々のみ残されたことになる。
白い砂浜。サンゴのかけらでできた、広いビーチ。
タコノキがほどよい木陰を作っている。
母島には砂の浜はそれほど多くないが、ここはかなり美しく、快適なビーチだと思う。
泳ぐ。
水の中はそれほど魚影は濃くなく、大はしゃぎって感じでもなかったな。波がちょっと荒くて泳ぎにくかった。
エイ、サメといった海のダークヒーローたちに遭遇してちょっと興奮。 サメって普通に泳いでいるぶんには襲われることはないとは聞くが、やっぱり後ろからついて来られるのは気分の良いものではないな。 おっかけると逃げるという話を聞いたことがあるので、おっかけてみた。
木陰に入ってお昼ごはん。
小笠原で歩いていると、知らないおじさんがいろいろ食べ物をくれる。
(女性と一緒に行動していると特に)
「知らない人からもらった食べ物を食べてはいけません」という教えはこの場では封印しておいて、ありがたく頂戴しておこう。
昼食後にもうひと泳ぎし、港へ戻る。
最後のははじま丸見送り。ユースの同宿者が高校サッカー部の5年後輩で、1、2回会ったこともある者だったことが判明、彼が父島へ戻るので見送った。
夕食後のささやかなお別れ会は音骨ライブが中心。
また今日も一曲新曲を披露。すごい創作欲だと思う。
そして今日も一歳児ユキナは大興奮。言葉しゃべりたて、けっこう人見知りするのに、不思議なほど音骨に愛をよせる。
音骨は、間違いなく彼自身の世界を創る。
その世界観は、母島で2、3日遊んでいれば触れられるような、割と身近なものであり、素直な感想や母島を讃える気持ちを歌ったものだ。
遊び心もあって実は結構キレイな曲も多い。
でも何も知らずに今日一泊しただけの人にとっては、どう映るんだろ。
普段は黙々と掃除をしてる男が、何の説明もなく、いきなり奇妙ないでたちをして歌い、叫び始める。宿泊者たちはびっくりして静まりかえる中、ひとり一歳児のみがやたらとノリノリ。
なんなんだこの雰囲気は、と受け付けない人もいるんじゃないか?
田澤さんちの雰囲気がつかめていれば、この何の説明もなく始まる異世界に対して、まだ許容できる気もする。でもそういう客ばかりでないし。
ライブ見に来たのであれば、どんな世界創ってどんな表現しても構わないだろうが、ある程度公共性のある宿泊まって、半自動的に参加するような宴会で、好き嫌いの別れるような時間を押し付けてしまってないだろうか。
マリオがウクレレで「登ろう小剣崎」弾いて、皆でダラダラ歌うっていう牧歌的雰囲気も悪くないし、そのほうが確実に敷居は低いと思うが、どうなんだろ。
いや、でも音骨ライブもヨソでは得られない、魅力的なものだ。
その世界の敷居を下げるために音骨自身が朗々とMCやる姿は想像しにくいから、恵子さんあたりがたまに説明いれてくれると、多くの人にとっても受け入れやすくなるのでは。
芸術って例えば典型的には茶器がそうであるように、作品単体だけでなくそれを評価評論する存在があってからこそ、多くの人に伝わっていく、というものだから。
恵子さんの話すオトボネエピソードは僕は大好きだし、多くの人に伝わりやすいんじゃないかと思うが、どうだろ。
最終日は雨。
もう何泊したか数えていないが10日間くらい、毎日夢のような快晴だった。海も青く空も青い日々だった。
それが、我々の旅の終わりに合せるように、名残のように雨が降る。毎度のように天候を僕の都合に合せてもらってるようで、申し訳ないくらいだ。
嵐の中、母島を離れる。この階段が離れれば、船は出て行く。
ユースの皆さん、もう一航海泊まっていく人たち、母島在住の人たちに
見送られ、ははじま丸は出帆する。次はいつこれるだろう。
父島に上陸、短い滞在時間であわてて買い物。みやげ、船での食料と宴会材料、昼飯。
港のあずま屋で弁当食べてたら、やっぱり見知らぬおじさんが食べ物くれた。
2航海あると、いろいろできる。
いろいろできるというのは、「何もしないでゆっくり過ごす」という選択もできる、ということかな。
5泊6日も使って、はるばる25時間+αも船に揺られてやってきた、もう一生来れないかもしれない。そういう思考なら、毎日ギュウギュウに計画組んでしまうのは仕方がない。
しかし、実は小笠原では、ゆっくり過ごすのが似合うんじゃないかと思う。仲良くなった人の旅立ちを見送って、旅人たちと茶話をして、宿の子供たちと遊んでもらう。ツアー船にのってイルカを見るよりも、そういうほうが価値があるんじゃないかと思うこともあるが、どうだろう。ツアーで予定を埋めるよりも、自由な時間を作っておけば、天候に合せた行動ができるし、何か素敵な誘いがあった時に対応ができる。
今回はけっこうそういう過ごし方ができたんじゃないかと思う。
ユースなどの相部屋の宿に長期泊まった場合は、どんな人たちが一緒に泊まるかというのが非常に重要だ。 2航海分泊まると、その雰囲気が何度か変わっていくのを味わえるのがおもしろかった。昨日仲良くなった人が、明日は父島へ向かったりもう一日話をしたり。 客が少ないときは、タザワさんちの人たち見てるだけでおもしろい。 ある程度の期間滞在するから味わえる面白さってけっこうあるんじゃないかと思う。
●北港の湾内探検 車+カヤックで可能性が広がった。
●耳抜きの苦手意識が激減した。もっと潜れるかもしれない。
●乳房山からの夜景が撮れた
●ははじま丸の見送りが3回できた
●オトボネ家訪問
●カヤックによる未開拓地を探検
長浜、東港周辺とか
御幸が浜周辺にも、未調査の洞窟があった。南方面の良い半日ツアーコースができるかもしれない。
●南崎オーバーナイト
乳房山の次は南崎?カヤックで荷物運んで、小富士から日の出を見る。
砲台のところに泊まってもいい。
●田澤さんによる石門ツアーも行ってみたい。
●ユキカちゃんのパン屋開業
船の上での宴会は、持ち寄りでつまみだしたり、残り物を組み合わせてあやしげな肴つくったり。 このサラダ風ソーメンは大変においしくできた。
到着後の飲み会。しかし、さすがに旅疲れもあるし、船でも飲んでる。
残ったのは3人。 酒精の名を唱えるだけで目が潤んでくるような酒好きたちだったので、最初から日本酒一升ボトルで注文。 さんざん酒と食べ物の話をして、ちょうど一升空けたところで気持ち良くお開き。今回の遠足も終幕。
いつかまた、どこかで。
●これまでの小笠原旅行
・2007 GW
・2006 GW
・2005 GW
・2004 GW
●リンク
・maricobabylon日記
・真音骨ファイル
・音骨ファイル 音骨の母島デビュー 結婚の話とか
・アンナビーチ母島ユースホステル
休暇が終われば、会社には楽しみにしていた試作品の部品が届いている。 さっそく試したいところだが、雑用に追われたノー残業デイになったので明日以降にお預け。
と思って組み立てを始めたら、部品がちゃんと加工されていないでやんの。
僕の設計ミスではなく、加工先のミスで、またまたお預け。しっかりしてくれよ。
帰りのバスで、同期入社の友人に遭遇。今日は同期の人たちで宴会やってるというので、そのまま一緒に参加。こっちの人たちは仲いいなぁ。
とはいえ、最終電車まで1時間もない。焼き鳥と生ビール2杯を腹に流し込む。
ギリギリまで飲んで駅までダッシュしたら、変に酒が回って気持ち悪くなった。