毎年恒例で会社の先輩たちと出ている自転車レース。 しかし昨日はいろんな人に心配されてしまったので、さすがに今日のレースはお休みにする。参加者が少なく、申し訳ない感じだったのだが。
午前中はだらだら読書して焼きそば食って、午後は久しぶりに掃除をした。
自室、居間、台所、便所、風呂、空き部屋。久しぶりに気合の入った全面展開をして、正味4時間弱。時給1000円程度の作業だろうから金額換算すれば4000円くらい。この程度の掃除を月に5、6回もやれば、部屋はきれいに保たれるだろう。
夫婦ゲンカの典型的な場面として、夫「誰が稼いでると思ってるんだ」妻「あたしだって家事やってるのよ」というのがあるが、掃除に関しては、毎月2万円程度と評価すれば良いと思う。喧嘩するときは、炊事洗濯に加え心のケアや話し相手、その他さまざまな能力給が出てきそうで簡単には金額閑散しにくいものを、各々自分の有利なように解釈できるようにしておこう。
昨日は中華風のお粥だったので、今日は和風にしてみた。 安曇野で買ってきた、山葵とまいたけの総菜いれて。
最近の僕が失ったものの一つ、それはぬかづけのある生活だ。ぬかづけの乳酸菌によって、我がはらわたの中身に圧倒的支配を確立するのだ。
人間の体内にも実に多種多様な細菌がいるらしい。 有害な奴らと、役立つ奴らと、正体不明な奴らが複雑怪奇に相互干渉しながら、バランスを保ちながら生存しているらしい。 そんな奴ら同士のの星取り表の仕組みはよく分からないが、一つ素人にも分かりやすい原則がある。それが一つの菌による圧倒的支配の原則で、例えば乳酸菌がある割合以上の割合になると、他の菌はそうやすやすと繁殖できないらしい。日本酒を作る時など、この原理によって雑菌が増殖することを防いでいる。
毎日ぬかづけ食って腹の中を乳酸菌で一杯にしておけば、たとえ拾ったもの食って危ない感染菌取り込んだところで、腸内やられて医者に行くような失態は犯さなかったんじゃないだろうか。
友人のコンサートを聴いてきた。
ピアノの演奏の合間に、曲の解説をやってくれる。 これが僕のような音楽的教養の無い人にはありがたい。 名手による名演奏でも、それだけを聴いていても何をポイントにしていれば良いのか分からない。 楽しみ方のコツを解説してくれると、素人でも興味をもって聴くことができる。音楽をずっと聴いているよりも、変化もあって面白い。やる方は大変なのだろうが。 良い芸術ならば、何の前提知識が無くても伝わるはず。そういう考えも間違えではないだろうが、やっぱり色んな知識をもっていた方が楽しみ方も広がる。演奏自体のみが表現の場ではない。その間の解説も含めて表現な訳で、客層にもよるのだろうが両方あった方が多くのものを伝えられると思う。
彼女はここ数年さらに活躍の場を広げ、自分が経験を積んできたクラシック音楽の良さを多くの人に伝えようとしている。すごいと思う。
何かを作る人は、どういう思考経路で作り出しているか。そういうことに興味が沸く。
作曲家の場合は、作ったものを楽譜の上に記号化するはずだ。
作られた音楽というのが、そのへんの有線放送で流れているようなBGMではなく、宮廷料理のように作り込まれた複雑な音楽だったから、ああいったものがどう記号化されるのかというのに興味が沸いたので、楽譜を見せてもらった。
書いてあったのはほとんどメモ書き程度で、他の人が見ても絶対に分からないらしい。そんなのでああいう複雑なのが再現できるんだから、もうどうなっていることやら。
コンサート会場は、僕が昔すんでいたところの隣の駅だ。 帰り道、散歩がてら昔の生活圏を歩いてみた。
そういえばこの路地、よく通ってた気がする。
曲がったとたん、不意に世界がつながる。時間を飛び越える。現実世界から引き離される。
まだ小学校にも上がらないころ、母の買い物に連れられて来ていたスーパー。 20年前は毎週のように通っていた道。20年ぶくらいに来た。
何の変哲もない住宅地、何の変哲も無いスーパーマーケット、何の変哲も無い路地裏を歩いている。それと同時に、僕は20年前の思い出の世界のなかを歩いている。
眠りが浅いときにみる夢に出てくる街かど。あぁこの交差点だったのか。
子供のころに認識できた世界の地図上での、ギリギリ境界だったあたり。現実の記憶だったか夢だったか映像で見たものなのかはっきりしない場面の中を、今僕は歩いている。
当時の友人たちはどうしているのか。そのまま残ってる家もあったし、マンション自体無くなってるところもあった。
そろそろ立派なお父さん、お母さんになってる人も多いんじゃないか。
会ってみたい気もするが、顔も分からないんじゃないかという気もする。
今となっては当時の生活圏など、けっこう簡単に歩き通せてしまう。あんなに広く感じたマンションの廊下も、今ではちょっと窮屈を感じるくらい、図体ばかり大きくなってしまった。
何だか感傷的な一日だった。
昨日は和風のお粥だったので、今日はイタリア風にしてみた。 どのスタイルにしろ、美味しいかどうかは塩加減でかなり決まる。薄ければ足せば良いだけだが、一発で決まった方が嬉しい。
昨日、今日と軟便はおろか、便自体出なかった。
時代は再び便秘へ向かって進み始めた。
ということで、ほぼ完治かな。
今まで僕が書いた特許の中でもかなり奇妙な類いの発明が、とりあえず登録の許可が降りなかった。 2つの先願件が示され、その2つで「組み合わせ容易」とのことだ。
まぁ確かに、2件とも出願時には発見できなかったやつだから、請求項が少なくなってしまうのは仕方がない。
しかし容易かどうかって、誰が判断できるんだ?
何だか水掛け論になってしまうんじゃないか。
ほとんどすべての発明は、これまであったものを組み合わせているといっても過言ではないだろう。今まで有効だったアイデアを、新しい分野に試す。そういう特許はたくさんあるが、その組み合わせは容易ではないということなんだろうな。
というのがせっかくのアイデアにケチをつけられたことに対するグチ。けっこう自信あって、けっこう苦労して書いたのに。
これから、この組み合わせは容易ではなく、今までとのはここがこう違ってすごいのだということを主張しなきゃいけないのかな。
せめてラジオでも入れば良いのだが、部屋の中にはベッドのほかにはテレビだけっていうビジネスホテル生活もある。 テレビを見るのは年間に10時間にも満たないような生活をするようになってだいぶたつが、そんな環境ならば結構ザッピングしてみたりする。
しかしテレビってつまらんなー。特に民放の、お笑い芸人がわめいているだけの番組群。プロを称する芸人たちの、ウケを取ろうとしている姿は痛いだけにしか見えない。結局同じようなことしか言っていないし。
こういうの作ってる人たちは、よっぽど視聴者バカにしてるか、よっぽどバカが作ってるかだと思ってしまう。
しかし、すべてのテレビ番組がつまらないわけでも無いだろう。数年ぶりに見たテレビチャンピオンは面白かったし、水木しげるのインタビューは情熱的だった。BSでやってた北欧の環境ドキュメンタリーはメッセージ性が強く、見せ方もうまかった。
そんな中でのお気に入りは、「イタリア語会話」の後半、イタレンジャーのコーナーだ。 もう朝の眠気が一気に醒める。(前半は眠いのであまり見たことが無い。)
3人のイタリア人の伊達男が扮するパスタネーラ星人と、文法戦隊イタレンジャーとの戦いに熱くなっているうちに、しらずしらずの間にイタリア語の文法を覚えてしまうのだ。
戦隊ものと語学番組というシュールな組み合わせ。戦隊もののルールを守ってるようで、守っていないようで、パロディーになってるんだかなってないんだか、とにかくこんな番組見たことが無い! 戦隊ものなのに二人しかいないし、ちゃんと敵は巨大化するし、宇宙戦艦ヤマトっぽい設定もあるし、全般的に間抜けな雰囲気で、それ以外にも細かい突っ込みどころたくさんある。この番組作ってる人は楽しいだろうな。
今日は武蔵野線回りで帰った。いつもより金も時間も余計にかかったので、もうやらないようにしよう。
今週は昨日以外ぜんぶ、晩飯ラーメンだったな。