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2008/05/10(土)

今週は土曜出勤。今年のGW2週とも、それぞれ4日出勤なので、わりとフツーの日常だ。

出張先から帰宅後、同居人言うところの、具がビミョーなハヤシライスが作ってあったので食べた。

2008/5/11(日)

修理に出した自転車を取りに行き、やっぱり状態が悪いことを確認。新しいの買わないとな、という感じに、カタログもらったり、試乗させてもらったりした。

今乗ってるやつは10万円くらいだった。今度も多分それくらいのを買うだろう。
趣味に10万円かけるのであればゼータクであるが、自転車は趣味というより生活の一部であり、身体の一部だ。10万円くらいかけても、すぐに元が取れる。

今乗ってるのは、4年弱乗ったので3万kmくらい走っただろうか。
1kmにつき4円程度。他の交通機関、例えば電車ならば場合にもよるが1km20円くらいだろう。まず、自転車に10万円かけても、価格において圧倒的に優れている。

市街地で10km以内ならばほとんどの場合、自転車は最速の交通機関だ。 少なくても車よりは速い。一般道を走る場合、車でいくらスピード出したところで、信号で止まる。自転車も信号で止まるが、1回の信号で止まる時間、信号に捕まる確立が全然違う。自動車で瞬間的に60km/h出したところで、平均速度は昼間の市街地は15km/hいっていれば良い方だ。自転車は40km/h出すのは難しくても、平均20km/h出すのは容易だ。結果的に早く到着する。

速いだけでなく、自転車は楽しい。少なくても満員電車でつぶされているよりも、圧倒的に楽しい。
疲れるかっていうと、会社の通勤に使っている場合は、電車の方が疲れると思う。 僕の仕事は肉体労働ではないので、勤務中に疲れるのは神経とか頭の中とかであって、肉体的に疲労する訳ではない。終業後の疲れた家路でも、込み合った通勤電車では、やはり神経は休まらない。僕が電車に慣れて無いからかもしれないが。
広い空を見ながら、土手沿いの道を漕ぐ。身体を動かすと、、神経は却って休まる気がする。仕事に疲れた時こそ身体動かしたくなる。
悪天時や空腹の時は確かにつらいが、まぁしかたがない。

日常的に自転車こいでいると、何しろ世界の捕らえ方というか距離感が全然違う。これは、一時的に自転車乗れない生活をしたときに強く感じる。
2、3kmならば10分程度。自分のいるところから半径3kmは、簡単に手が届く場所だ。 10kmの道を通勤するならば、その間すべての領域が支配地域になる。 現在の僕の生活、シャトルバスで会社とホテルを往復する生活。これでは生活エリアは2つの点である。 自転車で、帰りにちょっと寄り道を許せば、行動圏は線というよりも面。その中に含まれるラーメン屋の数は何倍違うだろう。
自転車乗ってると、いろんなところがずいぶん近く感じられる。

そんなわけで、自転車は「欲しいもの」というよりは「必要なもの」なのだ。
買わないとな。

2008/05/12(月)

そこいらへんのナンチャッテ芸術家が、たとえば自分の彫刻作品に対するこだわりなんかを熱く語っていたとする。
まぁあんまりそういう芸術家やその作品をチヤホヤするのはやめて欲しい。いや、中には本当にすごい物もあるだろうが、身近なところにもっとすごいものがたくさんあるのに。

ヨドバシカメラなんかで売っている家電の類、あるいは巷にあふれている工業製品。これらはありきたりの芸術作品よりも、はるかに多くのこだわりや試行錯誤をもって作られている。

そういう製品を構成しているすべての形状、すべての線には理由がある。
量産品にも、いや量産品にこそ、いろんな意志や物語が込められている。

この線をちょっとでもずらそうものなら、こんなトラブルが発生する、成り立たなくなる、製造できない、お金がかかる、使いにくくなる、性能が悪化する。
あなたが何げなく手にしているデジカメの一つ一つのデコボコは、内部構造も含めてすべてがそんなような形状だ。

理論的にはっきりと決まらない部分もあるが、そのへんは設計者のカンやセンスや個性でエイヤと決める。センスが悪ければ、やがて将来なんらかのトラブルを招き、センスがよければ使いやすい物が作れる(と思う)。

よく見かける工業製品も、そういうスゴイものだと言うことが、世の中の人は気づいているだろうか。

新製品のころは良いとしても、2、3年経って陳腐化してきたら、すぐにつまらないものとして扱われてしまっている。まぁ確かに量産された工業製品は身の回りにたくさんあるし、オークションに出しても大して値がつかないものになってしまう。

とはいえ、いくらそのへんに大量に転がっているものといえど、物としての完成度は非常に高い。ありきたりな芸術品よりもはるかに芸術的で、製作者たちの様々な意志や試行錯誤、努力の末にできた、非常にスバラシイものなのである。 他の時代のエンジニアたちや、似たような文明を持つ宇宙人たちは、それらをみて深く感動するんじゃないかと思うのだが。

日本には、そういうレベルの製品をつくっている会社がたくさんある。 そしてメイドインジャパンの製品は世界中で売られている。 別にズルをした訳でもなく、保護された訳でもなく、その完成度を実力で世界に認められた結果だ。

日本人は、そのことに対してもっと誇りと自信を持っていいと思う。 一人一人が不断の努力を続けたこと、工夫を積み重ねたこと、日本にはそれを可能にする文化があることが認められているのだ。

スポーツの世界で日本人が活躍すると、やっぱりなんとなくうれしい。 マツイやイチローは大リーグで認められていて確かにすごいし、同じ日本人として誇りに思う。 しかし、大リーグ知ってるのはアメリカ人だけだ。トヨタやソニーの商品は、アメリカ以外にも世界中で使われ、愛されている。それを生み出している人たちに対しても、スポーツ選手が認められているのと同程度には誇りに思って良いんじゃないか?
運動苦手でもそういう能力もっている子供には、自信をもってそういう道に進んで欲しいね。

バックパック背負って、タイあたりの安宿で外国人と相部屋になったとする。 どの国の人に対しても、我々日本人は「お、兄さん格好良いカメラ持ってるねぇ。それって俺の国で作ってるんだぜ」っていうような挨拶で始めることができる。 日本人のことは知らなくても、日本製の製品知らない人なんて、そうそういない。

僕が今開発している商品も、たぶん半分以上は海外で使われる。この地球上のどこかの誰かに使われるために、日々努力してるわけだ。
グローバル化のすすんだ現在ではそんなの珍しくないだろうが、これってすごいことだよなぁ。民族も宗教も思想も国籍もちがう、言葉も生活習慣も違う誰かに使ってもらうために、日々ナニヤラ試行錯誤してるんだぜ。
世界のどこかの町角ですれちがう、何の縁もない異国のカメラマンが僕の作ったカメラぶらさげていたとする。その瞬間、それだけで僕は彼のことをトモダチって思うね。

「お国のために働く」ということを大きな価値観にして、他国と殺し合いをしてた時代なんて、そんなに昔の話ではない。 が、そんなのクソくらえだ。民族や思想を越えて、何か共通する感覚がある。そういう前提じゃないと世界中の人に使ってもらうことなんて考えられないし、そういう製品を作っていくことで、かなり間接的にではあるにしろ、異なる人々の間の意志疎通と相互理解につながっている気がする。

それが、僕が働いている2番目の動機なんじゃないかと思う。
それよりも強い動機は、ただ単に自分の力を見せつけたいだけだ。これが一番強いと思う。なんだかんだ言ったが、結局それだ。
別に養う家族とかいないし、給料とか待遇とかを得るために働くっていうのは、3番目以降の動機だろうな。

なんていうことを、通勤途中のバスの車内で考えた。

2008/05/13(火)

昨日に続き、後輩が借りている部屋の台所に押しかけて自炊する。
今日のメニューに使用した調味料は、すべて社員食堂にある、小袋入りのものを利用した。

春菊の炒め物にはゴマ油入った中華ドレッシング、鮭はもやしや大根と共に焼き蒸し、汁物は青じそドレッシングと醤油で強引に作った。だしは、魚の練り物とか余った茸とか。練り物には入っていた紅生姜のはたらきにより、不思議な味になった。
大根にはマヨネーズ。

非力な電熱線コンロひとつ、フライパン一つを3サイクルさせて、春菊炒め、鮭焼いて、汁物煮る。 誰も誉めて呉れないので自画自賛しておくが、それなりの手際のよさと工夫が無いとできないんじゃないかと思う。
なんかこういう、調味料や器具に制約がある中での工夫って好きみたいだ。

2008/05/14(水)

本日は残業禁止の日。かといってホテル生活では、帰ってからできることなんてそんなにたくさんあるわけではない。 ノートパソコン持ち込んで、いろいろHPの更新作業やるつもりだったが、大してはかどらなかった。

いつもより時間があるので、駅の反対側まで出てみたが、やはり飲食店は少なく、営業時間は短い。ラーメン屋一軒探すのも苦労する。

どういうことなんだろ。
県庁所在地、新幹線も止まる地方都市ってこんなもんだっけ。 人どおりもそれなりにあるのに、皆何食ってんだろ。 自動車社会のドーナツ化現象で、駅前は力を失う一方。

2008/05/15(木)

ここでしか食べられないギョウザがあるわけではないが、ここではギョウザしか食べられないという意味では、宇都宮は確かにギョウザの町。

2008/05/16(金)

終電って意味わかんね。このご時世になんでもっと遅くまでやらないんだろ。 終電の混み具合を見てると、需要がないとはとても思えないし、もっと遅くまで電車を走らせることが不可能とも思えないのだが。

終電が伸びるとどうなるか。
夜型化の生活に拍車がかかる。飲み会を始め、終電に規制されている行動ってけっこうあると思うので、終電が変われば影響は大きいだろう。

夜型の生活って社会の省エネのためにも、個人のQOLの観点でも良いことだとはおもわない。山小屋に泊まったときのような、日の出とともに目を覚まし、日が沈んで飯を食ったら寝てしまうのが、効率的で人間の本性にとって自然で豊かな生活だと思う。

だがまぁ、このまま夜型生活を加速させてしまえ。どんどん夜型生活を突き詰めて行けば、一周回ってすごく早起き生活に変わるから。
朝4時に起きて夜21時に眠る生活を理想とすると、今は9時に起きて2時に眠るくらいだろうか。(僕は6時過ぎに起きているが) 5時間、90°近く位相がずれた。360°ずらすにはまだまだ足りないが、加速する夜型化に対して真っ向からあがらうよりも、逆に夜型化を進めて行くことで朝方化を行う方が容易なんじゃないか。
かなりムリヤリな論法だが。


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