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2008/04/19(土)

八丈島で焼酎の酒造を見学してから、酒造りへの興味が沸き始めた。

図書館で借りてきた本によると、わが家の近くにも日本酒の酒造があると言う。

そうか。盲点だった。酒って遠いところで作っている印象があるが、神奈川県下にも15、6の酒倉があって、自分のところで醸造しているらしい。僕は自産自消という言葉が好きだ。ぜひ産地へ行って、見学して試飲して買ってみたくなる。

が、ネットで調べてみると数年前に閉じてしまったらしい。あぁ勿体ない。百年以上も作り続けてきたお酒、微生物たちの複雑で微妙な働きを、もう二度と再現することは出来ないんじゃないか、と想像する。
世の中は飽食でグルメだこだわりだ、なんていう主張は嘘だなんじゃないか、どこかイビツに食を追求してるんじゃないか。

悔しさまぎれに、そんな主張をしてみる。

ネットで探すと東京側にも一軒酒造があったようだが、こちらも休業中。
やっぱり最寄りの酒造は丹沢か多摩のあたりということになる。
近所にいい酒造があれば、お土産なんかに都合が良かったのに。

久しぶりに「今日のごはん」以外のページを更新。掃除したり選択したり本を読んだり、っていうような土曜日。

2008/04/20(日)

誰にも会わない週末も久しぶり。いろいろ雑作業に費やす。 朝からカレー作ったり、棚作ったり、床屋行ったり。

ようやくベランダの掃除に着手できた。 あしたばらしき植物が発芽している。サニーレタスに続き、あしたばも自給したいところだ。 みつばの種を植え、ハカラメを河原に植え替えた。しその種を買ってきた。

2008/04/22(火)

昨日もカレーだ。そして今日もカレーとサラダだ。
サニーレタス、このくらいのペースならば需要と供給のバランスが取れている。明日になればまた生えてくる。 素晴らしいぞ豊穣のサニーレタス!

2008/04/23(水)

本日の出張はなくなり、新幹線で行ったり来たりが一回減って、就職活動の学生たちや同僚のリクルーターたちと酒を飲んで来た。

酒席っていうのはやっぱり重要なんだなぁ、ということを思う。
そういう場でないと交換しない情報ってけっこうあるからな。

2008/04/24(木)

ギョウザ屋でない中華料理屋があったので行ってみた。

吉村昭「漂流」

この小説を読んで感じたキーワードは、自然と文化、というものだ。

史実をもとにしたストーリー。人間には、こんな信じ難いことをしてしまうという感動。

主人公の長平は沖で遭難し、漂流の末に鳥島へ漂着する。

鳥島、八丈島の南、青ヶ島から小笠原諸島の間に広がる漠々とした大洋の中にある唯一の島らしい島だ。
水も満足に貯められない火山島で、植物はそんなに豊富じゃなく、人が定住した歴史は戦前にちょっとあったようだが、彼が漂着する以前はない。 そんなところで、火も水も使えずに生き延びていくお話なのだが、それを可能にしたのは島がアホウドリのコロニーだったからだ。 アホウドリっていうのも運がいいよなぁ。人間に警戒心を抱かない、一度空に上がればすごいらしいが、大型で離陸の下手な鳥。 漂着した無人島にいてほしい動物として理想的だ。

南極海で遭難した「エンデュアランス号漂流」の船員たちは、ペンギンやアシカを食べて生き抜いた。
絶海の孤島でも、極寒の氷の海でも、食べ物があればなんとか生きているらしいが、そういう状態になったらやっぱり、人間は自然の中で生かされている、ってことを強く思うだろう。渡り鳥を殺して征服感を感じるよりも、この鳥がいなくなったら俺は死ぬんだな、という危機感と、自然に対する感謝を感じる。
肉食動物が他の生き物を狩って食べるときも、もしかしたらライオンもカマキリも、インパラやバッタに対して感謝してるのかもしれない。

苛酷な自然環境で人間が生き延びて行くためには、生き物としての生命力も必要だが、それ以外にもその人間がどういう社会でどのような知識をつけてきたか、どんな文化をもっているかということがすごく重要なようだ。

何を食べて生きていくか、っていうのは本能というよりも文化によってだいぶ決まる。干物を作る文化をもっているか、海藻を食べる文化をもっているか、水を貯める技術、船を造る技術、そういう知識が生死を明確に分けている。 身の回りの乏しい資源を活用していく努力と工夫には感動を覚える。

こういう漂流記を読んでいくと、いきなりパニックになって殺し合いを始める例も、無気力になって死んでいく例も、皆で力を合わせていきのびていく例も見つかる。そういうところで別れ道になるのは、リーダーの素質やそれぞれの精神力も大きいが、気晴らしの方法をもっているかっていうのはすごく重要なようだ。酒を造る、念仏を唱える、歌を唄う。そういうことが生存につながっている。 娯楽も芸術も単なる暇つぶしではなく、人間にとって必要不可欠なものなんだなぁということを思う。

たぶん同時期の漂流記、「おろしや国酔夢譚」にも同種の感動があった。当時の船乗りたちは、相当人間としての能力が高かったのだろうか。同時に、こんなに能力が高い人たちが従事しているのに、馬鹿げているとも思う。江戸時代に入って、国策のためとは言え日本の航海術が極端に下がった結果として、いろんな悲劇が生まれたわけだから。 「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛もそうか。

ということで佐々木さん、貸してくれてありがとう。


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