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2007/8/11(土)

夏休みの初日は、実家で読書。

桐島洋子「聡明な女は料理がうまい」

姉が貸してくれた。
まさに、我が意を得たり!というような内容が続く。

「台所に関しては、料理人は独裁権力者であるべきだ」
「台所の道具はなるべく増やすな」

そうそうこれこれ!これは声を大にして主張したい。
下ごしらえをして、まさに料理にとりかからんとするそのときには、すべての作業は円滑に進まなければならない。「さいばしが必要だ」と感じる前に手にはさいばしが握られていなければならないし、「ここは塩コショウだ」「ごま油だ」「ワカメ入れてごまかしちまえ」と思った刹那にそれは実行されなければならない。 あれお酒はどこにしまったっけ?とゴソゴソ探すような状態では、台所を支配しているとは言えない。

そうなのだ。日々変わる冷蔵庫の中身も、すべての皿と調理器具と調味料もすべて把握して、瞬時にとり出せるようにしておきたい。それを実現するには、使い方も把握していないような道具や、もったいないからというだけで冷蔵庫の奥底にしまわれた残り物というのは、敵である。
自分が完全に使いこなせる鍋一つ、皿一つ、包丁一つ、そういうシンプルなものだけで色々なものを表現できるはずだ。必要なものはすべてあって、場所を把握している。必要でないものは一つも無い。 それが理想だ。

ワカサギ釣り名人の釣り場風景。熟練工の七つ道具。理想的な台所は、そういうところを目指すべきだと思う。僕も桐島洋子さんと同じく、料理は男性的な作業という意見に大賛成。(本書を読まない人に誤解されたくないので付け加えるが、女性も男性もそういう「男性的な」能力を身に付けて、もっと料理を楽しめば良い)

ルームシェア生活をしていると、「料理は当番制?」という質問を良く受ける。当番制だと、この「料理人は台所の独裁者であるべき」という思想を実現しにくいのではないか。僕は自分自身で支配できる台所が欲しかったので、当番制よりも僕が料理担当になる道をとった。片付けも、同居人や来客にやってもらって嬉しいこともあるが、台所の支配を続けるためには必要な作業だ。自分一人でやってそう苦痛でもない。
僕の不在時には留守を任せることもあるので、台所が僕のみの支配しか受けないという状態は良くない。が、やっぱり台所は一人の独裁者に統治されるべきだし(ラーメン屋でバイトしているときもある程度そう思った)、料理ちゃんとやろうと思ったら自分の思いどおりにできる台所は欲しい。

この本、たかだか1章2章読むだけで、このように「得たり、得たり」のオンパレード。
体裁としては30年ほど前に、女性向けに書かれたエッセイのようだが、平成の世の中になり、本書の主張は独身男性サラリーマンに、余すところなく届いている。
この人話し合うだろうな。

斎藤美奈子「趣味は読書。」

これも姉の本棚から引っ張り出してきた。
斎藤美奈子は寡作なので、読んでしまうのがもったいない。が、軽妙で濃厚で、ついついどんどん読んでしまう。

読んでいそうで読んでいない、話題になったベストセラーを斉藤美奈子が代わりに読んで、解説してくれるというコンセプト。 確かに指摘されるように、あらすじはどこかで聞いたことあるけど、実際には読んでいない本が多かった。

いやこれも勿体無いな。まず自分で読んでから、解説きけば良かったかな。斉藤美奈子の解説聞いてから、実際に読んでみるのも面白そうだけど。

親戚のおつや。
母が学生時代によくお世話になった方。年齢も長生きだといえる範疇だし、死の直前まで割と健康に過ごしてきたようだ。悲しいことではあるが、嘆くようなことではないだろう。

小石川の伝通院って、江戸時代の話によく出てくる気がする。
都心のどまんなかだが、戦後まもなくはこのあたりも一面の焼野原で、幼い頃はこのあたりからずっとリヤカー引いていくバイトしてた、なんていう話を聞いた。

2007/8/12(日)

突然友人が遊びに来ることになった。
カレーが食べたいというので作ることにする。

コンセプトとしては、夏野菜をたくさん使う。たまねぎをたっぷり入れて、トマト、セロリ、にがうり、かぼちゃ、ズッキーニ、おくら。そこに豚バラの肉塊。

河原を散歩しに行くと、何やら催し物が。夕涼みコンサートというのをやっている。
「飛んでイスタンブール」って、題名は聞いたことがあるが、そんなような昔有名だった人とか、これから有名になるかもしれないグループなんかが河原で演奏するチャリティコンサート。

最初は西日が強烈だったが、終盤になって日が暮れていき、川風が吹いて夕涼みな感じに。
聴きに来ている人たちも犬の散歩の途中で寄ったふう。演っている人たちも方の力が抜けている感じだし、司会の女の子も普通の大学生で、リラックスした手作り感が好印象。

夏の暑い日。風通しの良い夕方、絶好のカレー日和だと言える。
カレーはどうやったって失敗しない。何入れてもカレーになる。しかし味にはちゃんと差がついて、大雑把に考えれば煮込み時間に比例する。今回は保温鍋を使って、カレールウを投入する前に3,4時間、投入してからは30分ほどあたためる。

うーん。ちょっと満足のいく出来ではないな。ルウ投入後の時間が足りていない。
野菜は色々入れたし、成長性は感じるが、まだ幼い感じの味だ。せっかく食べに来てくれたのに申し訳ないが、次の機会にはちゃんと計画的に、3日前から準備しておこう。 アボガドも入れれば良かったかな。

友人が持ってきてくれた日本酒は、冷やにしてずいぶんとおいしい。しかしさすがにカレーとの相性は良くない。
夕食を2部構成として、1部をカレー+ペリエor麦茶、2部を日本酒+つまみ(おくらとか、ワカメとか)でだらだら呑んだ。 自分の家で飲むのは、のんびりできるなぁ。

大山 顕, 石井 哲「工場萌え」

酔っぱらって入った本屋さんで衝動買い。でも、もしかしたら酒入っていなくても衝動買いしたかもしれない。

まだ自転車旅行を始めていないころ、行動半径を広げたい、海まで行ってみようと思っていた時期があった。
近い海といえば東京湾。それもまだだいぶ工業地帯のあたりだ。いろいろ迷いながらも、この先に釣り公園がある。そこを目指そう。
しかしその途中の工場群の、恐いこと恐いこと。うだるような暑気の中、空気はガソリン臭い。 大型車はガンガン通るが、生身の人間はまったく見当たらない。おまけに、廃線かと思った線路に、お化け列車よろしく正体不明の貨物列車も通っていく。
ここはネオ東京市だ。AKIRAの世界に入ってしまった。

臭くて恐くて嫌だったが、圧倒的な存在感、空気感もあった。前々から、いずれこの世界を写真に撮って作品にしてみようと思っていたが、既に居たのかスキモノが。

ということで、工場を愛してやまない人々による写真集+ガイド。マニアとしてのジャンル開拓期の、たいへん好ましい姿勢が全編を通して感じられる。
普通のデートコースを偽装した、工場好きのためのデートコース案内など、報復絶倒。

2007/8/13(月)

朝からPCに向かい、昼ごろになると部屋の空気がずいぶん上がる。
夕方になって、衝動的にカヤック組み立て出す。川に出てサンセットカヤックだ。

今日は上流へ、どこまで行けるか挑戦。
ずいぶんと魚の多い川だ、というのがわかる。かなり頻繁に、小魚たちがキラキラ跳ねる。 流れの無い淵に行けば、何やら大きな生命体の気配。たぶん鯉だ。鳥たちもずいぶん多い。確かに食うもん多そうだ。東京の川っていっても、そう捨てたもんじゃない。

上流へはあまり行けなかった。 家の近くは流れは無いが、1.5kmも進めば瀬が浅くなり、流れが早くなる。普通に漕ぐのではここまでが限界。 このあたりまではジョギングで来たことがあるので、未知なる土地の新規開拓は失敗。走るよりカヤックのほうが楽だけど。

日が暮れるまで、水面に浮かんでぼーっとしていた。

やっぱり昨日より美味しくなっている。

2007/8/14

ずっとやっていた作業がようやく一段落。明日は山でも行こうかな。
カレーも終わり。

2007/8/15

さぁ山行こう、と思ったら電車に乗り遅れた。
しかし、その電車は時間的余裕をかなりみたベストプランのやつで、ギリギリプランならば、時間後の電車に乗れば良い。

家に帰ってせきどうぎ修理して、再び出発。時間的余裕はあったはずなのに、なぜかまたギリギリ、再び駅までダッシュ。今度は間にあった。

今回の山登りは、甲斐駒をたたえるというテーマ。
甲斐駒の真南、至近距離に栗駒山という山がある。そこから思う存分、甲斐駒を見てやろう。

天気予報は相変わらず太平洋高気圧の圏内だが、南から湿った空気が入ってくるため、山ぞいは夕立に注意、とのこと。多少の雲は覚悟するが、夜になれば星も見えるだろう。

電車とバスを乗り継ぎ、北沢峠へ。今日はここから登り3時間足らず、大して気合の入っていない計画。夏バテぎみの体にはけっこうきつかったが、いや山の空気の気持ち良いこと快いこと! 涼しいし、さわやかだし、表現が難しいがいろんな生命の匂いを含んでいる。いかに今まで、東京の気違いじみた暑さにいじめられてたが分かる。

日暮れのちょっと前に登頂。雲量は増えてきて、甲斐駒は見えそうで見えない。近くの雲の向こうにはきれいに染まった雲が見え隠れするが、やっぱり見えない。この雲の向こうには、圧倒的な景色が広がっているのだろうが、見えなきゃ仕方が無い。
テント張って軽食つまんで仮眠していれば、雲も下がってくるだろう。


雷鳥見たのって実は初めてだ。
良かった、絶滅する前にお目にかかれて。

ゴロゴロ、雷の音で目を覚ます。
あ、ヤバイ。

街で眺める雷は風流なもんだが、森林限界上の山頂で雷鳴聞くのはちょっと嫌だよなぁ。
何しろ、僕が居るところが周囲で一番高い。それほど広くない山頂で、一番高いのが「栗沢山」と書かれた標識で、その次に高いのが僕のテントポール。周囲5kmほどまで広げれば、甲斐駒頂上、アサヨ峰頂上と、他にも雷落ちそうなところはある。が、周囲1km四方では、雷が落ちるとしたらここだろう。


タテに伸びるのが夏の雲

しばらくテントを離れて、少し下りた斜面で寝転んでいたが、次は雨が降ってきた。 濡らしたくないもの散らかしっぱたなしだし、それをしまいつつテントに逃げ込む。

雷雲の広がり、僕の記憶では普通2,3kmはあるという。だから雷光と雷音の間隔が10秒以内、3kmのところで雷が落ちると危険信号、次は自分のところに落ちても不思議ではない。
それを数えていても30秒以上あるし、光るばかりで音がしないことも多い。たぶん雲の中、上空のほうで放電を繰り返しているだけで、落雷の心配は少ないだろう。

雷が落ちた場合は、まず標識に落ちたとしても、二次電流はテントポールに伝わるだろう。電流はたぶん表面を流れる気がする。まずは雨に濡れたテントタープを流れていくだろうが、いずれ熱で焼ききれる。
そうなってもならなくても、1回の落雷の間に電流はいろんな経路を通って行ったり来たりするらしいから、僕の体内も通るだろうな。頭や心臓に大電流とおれば、さすがに死ぬだろうなー。


とはいえ、暗闇の山の中、雨に濡れて足場も悪く、移動するのは具体的に危険だろうし、面倒くさい。
酒呑んで寝てしまえ、っていうのが最良の対策だ。

たぶん大丈夫だし、万が一落ちたとしても、多少の迷惑はかけるかもしれないが思い残すことは特に無い。
星を見に行って、酔っぱらって寝ている間に雷落ちて死にました、っていうのは、本人的にはだいぶ満足だ。

2007/8/16

目を覚ます。死ななかったようだ。
が、深夜になれば雷雲も消え、星の夜空が広がるという予想も外れる。 昨夜は雷雲の向こうには「近いぞ!」という感じに天の川が広がり、北斗を背景に甲斐駒も雷の閃光に一瞬浮かびあがって、写真には撮れなかったが迫力のある景色が広がっていた。 が、何時間かおきに眠い目こすって空を確認しても、朝まで薄い雲が取れなかった。今回は負けだな。

一晩中撮影してたら眠いだろうから、来た道をそのまま戻ってもいいや、という計画だったが、せっかくだから広河原まで縦走しよう。撮影のつもりで来たが、ロケハンということになる。

今回登っているこの早川尾根、お盆のトップシーズンなのに全然人がいないぞ。この二日間ですれ違った登山者は、10にみたない。いやー静かで良い。気にいった。

栗沢山の手前からアサヨ峰を越すくらいまでが、森林限界を越えた展望帯。その先は樹林帯になって、太陽を避けられる。最も標高の高いアサヨ峰が景色も一番いいが、甲斐駒見るんだったら栗沢山からのほうが格好良い。

昼食後、冷たい野呂川で足を冷やす。

暑い。
暑いぞ東京。人間が住むのに適しているとは思えない。なぜこんなところに1200万人も住んでるんだ? 山の上行けば良いのに。

最近ちょっと夏バテぎみ。刺し身食って栄養とろう。
アジ半額。1パック2ひき入ったのと、1ひき入ったのが売れ残っていたが、2ひきのやつのほうが明らかに大きく、美味しそうだ。一人で2ひき食べちゃえ。

2007/8/17

大倉山→渋谷→多摩川→蒲田→狛江と移動した。
悪い予感はだいたい当たって、やっぱりチャリンコ撤去されてた。大田区に3000円募金。

同居人が作ってくれた。彼の弟が、ふらっと遊びに来ていた。
夜、流しソーメンの研究と準備。

2007/8/18

かっぱ橋にて、出刃包丁を衝動買い。9000円ナリ。
たまにしか使わないだろうが、格好いいぞ出刃包丁。お店のおじさんからいろいろ良し悪しを聞いて、お勧めのやつを購入。 プロの、大人の道具の世界だな。ちょっとでかい魚をおろしたくなる。

これで高校サッカー部の同級生も、半分くらい結婚かな。
そうだな。そろそろ冠婚葬祭以外でも会う機会作ろう。

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