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2007/7/13

海を、交通を妨げる障壁と見るか、移動可能な道と見るか。
障壁と見るならば、日本列島の西端にある五島列島は、本土からは障壁の向こう、僻地の最果てとなる。

しかし船による移動を考えるならば、五島列島は右手に日本本土を見、左手に韓国、中国を望む、交通の要地となるところだ。かつては倭寇の海賊や商人たちがこの地域を活動の拠点とし、フィリピンから中国沿岸、東アジアを一望に収めていたという。

遣唐使船、キリシタン大名、海援隊の練習、バルチック艦隊発見など、歴史の節々で外国と日本とが接触する舞台として何度も登場している。 東アジアの中心であり、日本の玄関口であるという見方もできる島だ。

文化だけでなく魚も行きかう。日本有数の漁場であり、釣りしても泳いでもカヤックしても面白いだろう。

というわけで五島列島にはずいぶんと興味が沸く。 歴史の島であり魚の島であり、自然も文化も混じり合う合流点のようなところなんじゃないかと思う。

そんな島への旅行を友人が立案したので参加する。
例によって説明のしにくい仲間たち、旅先で出会った人やら僕の同居人やら計画者の母親やら、いろいろ愉快で不思議なメンバー12人との、五島列島4泊5日(連休に前後1日休みつけて。一部の人は3泊、一部は5泊以上となるが)の大珍道中である。

中通島の有川が最初の目的地。 交通は羽田から長崎までが飛行機、空港から佐世保までタクシー、佐世保から有川までのフェリーとなる。羽田を9時半ごろ離陸、五島に付くのが16時半くらい。

ありがたくない参加者がもう一つ、南西方面からやってくるようだ。 台風4号、勢力は強い。けっこう良いタイミングで来ている。
1日くらいならば雨でもかまわない。皆で大風を肴にして酒飲んでいるのも悪くない。出発できないことを恐れていたが、進攻が遅れ、九州方面は大丈夫らしい。まずは第一関門突破。

軍港で起伏の多い入り江があって、海から見る佐世保は横須賀に雰囲気が似ている。
フェリーはほぼ貸しきり状態。海もほとんど荒れず、船酔いもせず、心配は杞憂に終わる。 缶ビールを開けて、初対面同士は自己紹介をして顔見知りは旧交を暖め直し、快適な船旅だった。


中通島、有川港着。
計画者の母親の出身地ということで、我々の有象無象も共に親戚まわり。

夕方のドライブはキリシタンの協会へ。
お墓が面白い。和風でしかもキリスト教、その和洋折衷に年季が入っている。普通では結び付きにくい二つが、長い時間をかけて落ち着いた感じに結び付いている。

世界の始まりのような、この世の終わりのような。
台風の来る前は、そんな空が現れることがある。今日は近すぎるから夕日は無理だろうと思っていたが、夕方が近づくにつれ日が射してくる。空があやしく染まり出す。海はそれを映し出す。
美しい夕方だった。

有川での宿泊は青少年村のバンガロー。わりと街の中心部の、まだ住宅地が切れていない立地にあるにもかかわらず、美しい砂浜の側の静かな広いキャンプ場。
我々以外は台風に恐れをなしたようで、広い敷地もすべて貸しきり状態。心おきなく騒ぐことができる。

近所のスーパーでお惣菜買って魚買って、酒買って飲む。
お魚コーナーには地物の、魚がずらっと並ぶ。アジとイサキを買って、刺し身とアラ汁を作った。

何しろ明日は台風が来る。皆の寝床はここにある。いつまで騒いでいても良いわけだ。

2007/7/14

明け方は雨も降ったが、それほど強くない。
台風は我々の東を通っていった。影響の少ない方角だ。

今日は島内観光。軽自動車3台連なって、島の端まで行ってくる。
地元にコネのある強みで、地元の有力者のダンディーなおっさん(町会議員らしい)が道案内をしてくれることに。

車窓から眺める五島の風景は、どこまでも続く入り江。複雑な海岸線に沿って国道が走る。
まず目の前の水が、とても海には見えない。この台風の中、波はほとんど立っていない。湖、あるいは川だと判断したいが、泊まっている船は海に出るための漁船だし、水上も定置網、いけす、養殖、何かは分からぬが色々漁業に使われているようだ。海水なのだろう。

自分がどこを走っているのかすぐに分からなくなる。道をしばらくウネウネ走った挙げ句、ほんの目の前にある対岸の道に出る、なんてことになっているようだ。
風景として、島と岬、半島というのはすでに見分けがつかない。島でも橋を渡して車で移動できてしまうし、目の前の岬でもやっぱりずいぶん遠回りをしないと対岸にはたどり着かない。


こういう地形

こんな地形なら、車よりも船が便利そうだ。きっと昔の人もそうだったのだろう。海上ならばどこでも同じように移動できる。海に出れば、食べ物も手に入る。この複雑怪奇な入り江の中は、台風の中でも静かで安全だ。自転車に乗るように船に乗り、慣れていき、やがて海を自由に移動するようになって漁師、海賊、海軍なんかを育ててきたのかなぁ、と想像する。

南の果て、日島の遣明船難破の地。倭寇の時代のころだ。国の宝だろうが外交の必需品だろうが、このへんの人が盗っていっちゃたのだろう。
シカがいるらしいがほとんど姿を見せなかった。

五島の名物、五島うどん。麺に椿油を使うことと、出汁にあごだしと呼ばれる、トビウオの干したやつを使うのが特徴で、確かにおいしかった。

スーパーに併設されているが、後で聞くと有名なお店らしい。知らなきゃこういうところ来れないよな。普通に観光していると。


午後は港の待ち合い室に併設された、立派な郷土資料館を見学。

ほとんどは捕鯨に関する資料で、これが面白かった。特に、捕鯨船の作業員たちの生活を写したモノクロ写真が格好良い。
もう、ほとんど怪獣対人間というような、子供のころに見たようなフィクションに近い。シロナガスクジラなんて、もう人間の何千倍もある。 なのに人間がクジラをやっつけて、食べてしまう。ガンダム対ビグザムというようなかんじだ。

動力船が発達する以前、遣唐使や倭寇の海賊たちが乗っていたのってどんなものなのだろうという疑問があったが、とりあえず江戸時代の捕鯨に関する展示もいろいろあった。

当時は、ものすごい人海戦術でクジラを捕まえていたらしい。クジラを追いかけ、追い込む船、網でもって動きを封じ込める船、陸上から指揮をとる人、モリを打ち込む人、一つの船に10人程度乗り込み、総勢では何百人、何千人という数のようだ。ほとんど海戦だ。
大きな雇用確保だ。若者は都会に出る必要なく、自分の育ったところで男らしい職場がある。モリ打つのにも指揮をとるのにもあこがれる人はいるだろうし、それで皆を食べさせることができるのは良いと思う。


夕方、たぶん台風最接近。雨は降らないが風が強い。

風台風は面白い。大笑いだ。
とりあえず風に吹かれているだけでやたら興奮するが、何かこう、あと一歩ですごいものを生み出せそうな気がする。そんな可能性を感じる。

台風が上陸するとよく発表される、海を見に行ってそのまま行方不明になる人々。 バカだな、というのが普通の感想だが、今まさに、我々はその気持ちが理解できる。バカだなと思いつつも、その魅力に逆らうことはできない。

とりあえず風によりかかる。
誰かが、何か新しい芸をやってみる。すると皆まねをする。叫ぶ。ジャンプする。ころぶ。そのさまを写真に納めてみる。
時間を忘れて皆で熱中。これからは、「趣味は風台風です」って言おうかな。

計画立案者の親戚宅にて宴会。
大勢でおしかけてしまって大変だっただろうが、すごく良い飲み会になった、良い酒飲んだなぁ、という実感。

おいしいもので腹を一杯にして、それぞれが自分の好きなことをしゃべって、それを聴くのも楽しい。 時間を共有しているという感覚。満足感。
良い宴って幸福を最も分かりやすく具現化したものの一つだろう。


くじら。七浦を潤す。
脂がのっていて美味しい。
給食で食べたのはこういうのではなかったな。

2007/7/15

やっぱり天気は急に変わる。
昨夜の噂では、今日も船は欠航になって有川にもう一泊だと言っていたが、目を覚ませば青空。船も全便出るらしい。半日観光して夕方の便で福江に向かいましょう、ということになった。

せっかく晴れたので泳ぎたくもあるが、まだ我々には行くべきところがある。辺境好き、はじっこ好きたる我々は、岬の最北端、島の最高峰を目指さなくてはならない。

買っておいたはずのスープが行方不明で、醤油やら残り物やらでてきとーに作る。
けっこうおいしくいった。こういう残り物スープが、ちゃんぽんの元祖正統派なのでは。



青砂ヶ浦協会。絵になる姿。


地の尽きる北端の岬。海の向こうには小値賀島。鹿が居るらしい。


気持ちの良い風が吹いていた。
時間に追われつつも、最高峰番岳にも無事到着。
これまでの道のりがぐるっと見渡せる。

有川からタクシーで1時間ほど、若松の港へ。ここから福江までの船が出る。
抜けるような青空の下、これまた船は貸しきり状態。割と豪華な内装の新造船で、こんな船をチャーターしたらいくらかかるだろう。
変化の激しい五島の豊かな海岸線を見ながら、昼飯つまみながらビール飲みながら、船内をうろつきまわっておしゃべり。


何とも良い船旅。

中通島の風景は入り江、入り江、向こうに山だか島だかが見えて手前は複雑な海岸線、というものだったが、同じ五島列島でも福江はまた雰囲気が違う。海岸線はもう少し単純で、田んぼがよく目につく。
こちらは城下街の島で、稲作を奨励したのか、と想像している。


途中立ち寄った教会で。
こういうのは真面目なのだろうか、ウケ狙いなのだろうか。


旅をすることとは夕日を見ることであり
夕日を見ることとは旅をすることである。
今夕も海岸線へ出て、皆でたそがれる。

今朝、台風の中で丸一日放置された愛用のデジタルカメラを発見。(壊れていなかった。頑丈だ。)
そして今日の夕方は、愛用のウエストバックを海に忘れていたことが判明。 捜索へ行くと、夕闇の磯場の岩の上、波しぶきを浴びているのを無事に発見。

まぁ何というか。我ながら云々。
強盗に盗られたときも戻ってきたくらいだから、これくらいで無くすとは思わなかったけど、無駄に手間かけてるな。

さかな、サカナ、魚に海老、貝。海の恵みが極まっている。
どれも身が締まっている、新鮮なコリコリ感。

宿泊は三井楽の西光荘。民宿まで貸切状態。
上記のように、食事が凄い。値段の話をしてしまうと、これで2食付6500円は信じられない。 そこらへんの食事屋で同額出しても、ここまでのものは出ないだろう。

2007年7月 五島旅行の4日目

今日の指令。

・大瀬崎の灯台を見てこい
・富江にある測候所跡地のてがかりを探せ

今回の旅行は急遽キャンセルになってしまった計画者の父親が、昔(戦時中?)逓信隊にいたとか言うことで、そのときのゆかりの地らしい。我々が代わりにそれを見に行くことになり、それを柱とした島一周ドライブの一日。

まずは近くにある高浜海岸へ。
粒子の細やかな、美しい砂浜。裸足で歩くと、高級じゅうたんのように柔らかい。


韓国からヘルメットが流れついてきたのを発見。
じゃんけんの敗者には、これをかぶる名誉と権利と義務が与えられる。


何だか青春している人たち。
誰かしらすぐに走り出す。どこへ行くんだ。

日本で最後に日が沈むという、最西端大瀬崎灯台。本日の第一目標、絵になる姿だ。
灯台直下まで歩いていけるが、このメンバーでそんなことしたら、延々と道草食ってしまうだろうから見下ろすだけ。
いかにも危険そうな真下の岩場に磯釣師。イシダイが釣れるらしい。

車に酔った。食欲が無い。
注文するときはうどんくらいしか食べたくは無い。が、乗り物酔いは回復する。もっと食べ応えのあるものを欲しくなるかもしれない。

などと悩んで、焼肉定食を注文。
たっぷりと待たされて、たっぷり出てきた五島牛。これが唯一の解ではないだろうが、僕の選択は正しかった。


昼食後、第2の指令を果たすための情報集め。
小学校わきにある文房具屋の田中さんが何かを知っているらしい。


ドラクエのような展開ののちに、測候所の官舎跡地を発見。こういう機会に地元の人と話ができた。

天気が変われば気分も変わるし予定も変わる。
空がこんなに青いのだ。海へ行かざるを得ない。 この香珠子海岸も遠浅のきれいな砂浜。

そしてここでお別れ。メンバーのうちの二人が脱落し、一足はやい社会復帰。空港行って皆で見送る。

再び高浜海岸。一日を締めくくる。



連日連夜のごちそう。
ずいぶんこだわりのある料理を出してくれる。トコロテンは自家製で、トコロテン方式に押し出すのではなく、包丁で切っている。このほうが歯ごたえを楽しめる。

うなるほどの刺し身。新鮮なやつを並べてづけにして、お茶づけで締める。ワサビをちょっと。
自慢したくなる。すごいだろう。




最後の夜なので延々と呑んだ。
今夜は星空。明日もきっと良い天気だ。

2007年7月 五島旅行の最終日

まだ泳いでない!
この青空だ。今日は何としても。

美しい砂浜の海水浴場はいくつかある。が、泳ぐのならば岩場の魚がいっぱいいるところのほうが面白い。
だが、このあたりで素もぐりしていると、漁師さんに密漁師とみなされることもあるらしい。自分たちも密漁することがあるものだから、けっこうきつく怒るそうだ。

宿の方の薦めにしたがって、細い農道を越えて港の脇の岩場へ行く。タコなんかもいるらしい。 昨日の美しい海岸、高浜海水浴場とは岬を隔てて隣だが、海水浴場ではないのでどこまで泳いでも注意されることはない。

魚は小さいのがけっこう泳いでいる。アジだのハコフグだの、伊豆あたりの海でも見るような身近なやつらの子供たちだ。
が、波がちょっとあるのと、魚が地味なため、移動しようということに。ダイビングショップに電話して教えてもらった、鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸へ向かう。

海岸での昼食。
ずーっと豪華な食事が続いたが、今回は景色が豪華でやっぱりおいしい。

夜更かし、深酒、海水浴、運転、昼食、暖かい。眠い。
だが空もまっさお。景色もすばらしい。泳いでもスバラシイ。 このあたりが五島で一番暖かいらしい。魚も、ネンブツダイやベラなんかの、もうちょっと派手なやつがいる。 サンゴもいくつか見えるし、ウニもたくさんいる。確かにこっちのほうが泳いでいて面白かった。


一泳ぎしたあとは、まずは展望台のある山へ。
この日は、「カメラを向けられたらジャンプする」というルールがあったが、山登りでそれをするほど我々の体力は若くない。登山中はジャンプ禁止令を出す。

付近を観光してきたご母堂、宿のお兄さんにも別れを告げ、温泉に入って五島での全行動を終了させた。


まっちゃんはしんがり。今後数日間、五島に残って島から島へと旅を続ける。

飛行機は速い。あっという間に日常へ。
まだパリパリタイプの皿うどん食べてなかったから、全員皿うどん細めんを注文。

五島の印象。
まずはごはんがおいしい。素材が良く、それだけでなく料理も良い。
孤島というより、昔から人間が住んでいるという空気。

この二つは多分関連している。古代の住居跡、貝塚、古い漁村。これは食べ物が見つかりやすく、移動もしやすく、昔から住みやすかったのだろう。

大陸との玄関口、キリスト教伝来の文化、江戸時代の城下街。色々な文化が通り過ぎ、人々が長い間暮らしていけば、料理法だって色々うまれる。海と山がぶつかれば、おいしい食材もいっぱいあるだろう。

特に中通島の、入り江の景色は印象的だった。あれならば、陸地を移動するより海上のほうがずっと早い。台風がきてもあれだけ穏やかなのだから、便利なもんだ。 このあたりに育った子供は、自転車に乗るように船をあやつっていくんじゃないだろうか。昔から。
成長すれば貿易商になり、クジラ船乗り組員になり、海賊、船乗りになり、漁師になる。 そんな歴史があったのだろうと想像している。

砂浜がきれいだった。小笠原、沖縄のサンゴの浜とは違い、細かい粒子の白い砂浜。サラサラとしている。新島、式根島の白い浜ともまた違う。僕がこれまで見た砂浜の中でも、トップクラスだ。

人々がやたら親切だった。田舎行くと親切な人が多いが、五島では特にそういう印象を受けた。 ちょっと道を聞くだけでやたら親切に教えてくれたり、一見恐そうなおじさんも、すごく丁寧に、親切に、いろいろ教えてくれた。

お役所は大丈夫なのかな、という心配も少し。
夕張の破綻が話題だが、五島も似たようなものだ、との話を少し聞いた。 そういう視点で見ると、確かにそれを裏づけそうなものはいくつかある。客は我々しか居ないのに、やたら豪華な施設。明らかに赤字路線なのに新造船。立派な橋、道路。

本当に無駄なのか必要なのか、無責任な旅行者としてざっと見ただけなので、正確なところは分からないし、我々はこの中のいくつかの恩恵を受けて、それを好ましく思った。 が、別にキレイで豪華で金かけたものを我々が欲しているわけではない。これからもずっと、親切な人々とおいしいごはんがあれば、我々旅行者は行きたくなる。

今回の旅行について。
やっぱり、かなりレベルの高い選抜メンバーだったというのが一番の印象だ。年齢層も色々なうえ、歳の差はあまり気にしなくて良いのも面白い。

奇妙な人がいっぱい集まった。
僕は参加者12人(台風のため参加できなかった一人は残念)全員を知っている3人のうちの一人だが、改めてそう思う。あの人不思議な人ねェと言っているアナタ、アナタもすごく不思議な人だ。
国内離島旅行の実績で言えば、まさに選抜メンバー。全員合わせれば、100島200島行くのではないか。旅慣れている皆さんなので、何があっても気楽にどーにかなる。やや意外だが、僕を含めて乗り物に弱い人が多かった。
皆さんフットワークが軽く、すぐに走り出してどっかいなくなる。そこらへんで、砂ほじくって遊んでる。 さすが、経験豊かな大人は違う。

そんな人が集まったのは、やっぱり企画者Mっちゃんの人徳だと思う。ありがとう。

maricobabylon日記

2007年7月19日(木)

最近あまり手をかけられなかったものだから、糠床が壊滅状態だ。変な匂いがして漬物もおいしくない。 どこまで回復できるか。

2007年7月20日(金)

シジミをからあげにすると良いつまみになると、あるエッセイで読んだ。それをアサリでやってみた。
うまいことはうまいが、フライパンで炒めるのとあまり変わらない味だ。アサリを揚げるのは、油が跳ねてけっこう恐い。リスキーな割にそれほど大きなメリットは得られなかった。

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