予想していたし覚悟もしていたが、ここまですごいものだったとは。稜線に上がるとものすごい強風が左から襲いかかる。
嵐が去ったあとの大菩薩峠。低気圧は北へ去り、強い冬型の気候となっている。
積雪は予想以下。数年前の同時期に同コースを行ったときにラッセルで苦労した記憶から、輪カンを購入して持ってきたが、その必要は無かったようだ。道は昼ごろの降雪によりうっすらと覆われているが、踏跡はおおむねついている。
稜線に出ると膝まで埋まる新雪の処女雪になったが、これだけ柔らかければ何装備しても違いはないだろう。アイゼンは未使用、輪カンも値札がついたままだ。
今回の宿泊は賽の河原にある避難小屋。冬だし、今週は天気予報も良くなかったし、独占できるだろうとの目論見どおり、日暮れ間際の到着で先着者はゼロ。よし、今夜もひとりぼっちの山頂だ。
雪を降らせていた雲も、どんどん風に吹き飛ばされている。星空があらわれ始めた。
風の力を思い知らされる。ただ「寒い」っていうだけで、何もできなくなる。
外気が体温を奪う能力は、気温だけでなく風によってずいぶんと違う。小屋の中でもマイナス10℃と、それほど外気と変わらない。が、ずいぶん暖かく感じる。
稜線まで出ると、寒さが襲いかかってくる。もう容赦ない。手袋を二重にすると様々な作業がしにくくなるが、二重にしておかないとあっと言う間に手がかじかむ。そうなるともうそれだけで、思考力は奪われ、何もできなくなる。カメラを三脚からはずすとか、三脚たたむとか、そういった単純作業でさえ不可能になる。万全の防寒をして、一つずつミスの無いように、寒さに絶えながら写真撮影に励む。
我ながらよくやるわ、といったような苦労、忍耐の作業。
そんなわけだからそれに見合った作品が撮れると良いのだが、苦労と成果は比例しないっていうのが世の中のお約束のようだ。
大菩薩嶺の頂上は、展望が無いという記憶があるので踏まずに下りる。
帰りは富士見新道。難ルートと言うことで、地図上には点線で示されているが、確かに緊張を有する急な地形が続き、刺激的。このルートは踏跡がなく、通ったあとは満足感がある。
やっぱり名物だし、ほうとうを注文。それなりにうまかったので満足だが、ほうとう鍋(1200円)ではなく、すいとん鍋(1000円)でも、焼きうどん(750円)でも、同程度の満足感は得られたかもしれない。
コンビニに並ぶ週刊紙に、業田良家が「新・自虐の詩」の連載を始めているのを見た。楽しみではあるが、あの伝説の名作の続編に恥じないものってできるのだろうか。
熊本さん幸江さんは出てこない話のようだ。