■Back ■Next ■Home

2006/7/22(土)

部屋の整理をして大変疲れた。父がとんかつを揚げてくれた。

夜、僕の友人がやってきた。最近は年に1,2度会う程度だが、間違いなく僕の生涯での最高の友達というような存在だ。たまにしか会わなくても、一緒に過ごす時間は濃密なことこの上ない。何か重要なときには必ずやって来る。

というようなことを常日頃から思っていたが、ここまで僕の力になってくれる話をしてくれるとは。咳にむせながら。彼の感受性の高さ、表現力、頭の回転の早さ、彼自身の経験、タイミング。僕と僕の家族に対する、惜しみの無い愛情。はげましてもらうと同時に、話の質の高さに脱帽する。
僕に彼ほどの表現力はない。自分の聞いた抱腹絶倒のギャグを、他人に伝えようと思っても面白く伝えることは出来ない。この二つの理由によって、ここでは残念ながら彼の話を再現することは出来ない。
彼のピンチのときには、僕がなんとかしてやりたいと思うが、ここまでの質の高さが無理なのは分かっているが、タイミングよく力になることができるだろうか。


ホストと社員旅行の酔っ払い、という組み合わせ

母が亡くなってたことで、これまで母に言われてきたことは、結果的には一生言われつづけることになるね、と彼が言う。
確かに。これからは床屋に行くたびに、母のことを思い出すようになるだろう。

人の死ってどのように考えれば良いのだろう。今だに良く分からない。死んだって言われても、遺骸を見ても、とりあえず実感は湧かない。悲しくなるのは、自分の周りの人、普段は明るく暖かい人たちが嘆いているのを見たときだ。

死後の世界はあるのか。絶対にない、と考えている。自分の場合はそれでいい。一回しかないのだから、物質に帰すまでは精一杯やろうと思っている。

でも親しい人が死んだあとは、そのあともどこかで安らかに、幸せであって欲しいな、と思う。
僕の思い出の中の彼女は、がさつで心配性ではあったが、基本的に幸せな状態だ。だから、それで良いのではないかと思う。

2006/7/23(日)

母の弔問が何組か。皆、それぞれ的確な言葉と態度と暖かさを残していってくれる。

母はこれからもどこかで我々のことを見守っていく。我々は、苦しいときや嬉しいときに行なう、胸中の母への報告、相談のような形で、これからも母とは会話が出来る。胸の中で問いかけることはできる。

今後の1年間は多分つらい(特に父にとって)。昨年と比較してしまって、そのたびごとに思い出す。でもその後には、もっと幸せな時期が続くはず。辛い1年間に比べれば、耐えていくことも出来るし、時間の経過に癒されるし、楽しいことも起こるはず。

母の親友であると同時に、我々家族にとっても親戚であるような方が言ってくれた。
彼女は夫を25年ほど前に失っている。奇しくも、今日がその命日だという。 僕の記憶の一番古いギリギリのころのものに、彼女の夫に遊んでもらったことや葬式での喧騒がなんとなく残っており、僕も彼女の尊敬すべき生き方は、20年以上見ていることになる。そんな人の話なので、大変重みがあるし、助けになる。

この一週間、僕の母は周囲の人にずいぶんと恵まれていたなぁということを実感した。
同時に、僕自身も随分と恵まれていると思う。良い家族に恵まれたし、良い友人、知人に恵まれている。多分僕のことだから、周囲の助けが無くてもそれなりに衝撃から立ち直っていくことはできただろうが、彼らの暖かさがあるのとないのでは、立ち直りかたにも随分と差があるだろう。

多分明日からは今までどおりの生活に戻る。偉大なる日常の中へ戻っていく。
その中ではいつものペースを取り戻すことはできるだろうし、やっぱり今までの安田悠のように振舞うのだろうが、多分それはちょっとずつ違う日常になるのだろうと予想している。

夕食は近所のイタリア料理。僕たち姉弟にとっては初めての店。トイレが素敵で、注文が早かったのが好印象。 これからの家族の話ができて、素晴らしい食事だった。
ワインをたくさん飲んだ。

2006/7/24(月)

久々の寮では、腐ったヨーグルトが僕を待っていた。
久しぶりの出勤は、何だか大変疲れるものだった。

でも、とりあえず日常に復帰した。
カヤックでも、最初の一漕ぎは重いものだ。何度か繰り返していくうちに、やがて水をとらえ、前へ進んでいく。

2006/7/25(火)

会社の自転車仲間と。その中の一人が、この度めでたく定年退職を迎えるというので、そのお祝いに混ぜてもらった。仕事上は関りの無い人なので、ある意味友達の定年退職だ。

日帰り入浴施設に付随の料理屋さん。仕事帰りに温泉入ったのちにビールで乾杯という素晴らしい趣向。
まだ新しい施設らしい。新しいところは、新品だから良いというよりも、新しいぶん色々と工夫して、完成度を高めてところが良い。落ち着いていて、好ましい雰囲気。お湯は塩分を含んだ、褐色の湯。東京付近の温泉で良く見るような色。

縄文天然温泉 志楽の湯

2006/7/26(水)

久しぶりに自転車をこいだ。本当に気持ち良い。
昨日の呑み過ぎた酒も、最近のパッとしない気持ちも、汗と一緒に流れていく感じがする。とりあえず心臓動かして血液流しておけば、段々ペースも戻ってくるだろう。

仕事後は川ぞいに祖母の家へ。20kmくらいと踏んでいたが、もうちょっと遠かった。
その25kmの間のどこかに、電話を落とした。まだ5,6回しか電話していないのに、ちょっと電話をなくすペースが早すぎる。わざとなくしているわけではないのだが。

普段は携帯電話携帯するのやめようかな。考えてみれば、普段電話することなんて宿の予約くらいしかないし、会社にいるときも移動しているときも、電話受けたくないし。

2006/7/27(木)

月曜は自分で作った。
火曜日の料理屋にも出てきた。
水曜は祖母の家で。
で、木曜も、一昨日の残りがある。

まさかのうなぎ4連発。別に偏愛しているわけではないのだが(小さいころは嫌いだったが)、ここまでくれば今夜もウナギにしてしまえ。

2006/7/28(金)

鶏肉は安くておいしい。献立にも頻繁に登場させる。
今日は茹でたものに適当なドレッシング作ってかけた。


前回の反省を生かし、今度は迅速に携帯電話を買い替えた。前の同じ物ならば保障制度があって割引がきくというので、前と同じモデル。すごく気に入っているわけではないが、3度目の購入。
幸い、ある程度の連絡先はPCにバックアップがあった。割引が色々ついて、それほど高い買い物にはならなかった。会社の帰りにさっとやってしまえたので手間も少ない。落としてしまったのは残念だが、これで取り戻すことができた。

家に戻ってメールを見ると、実家から「電話が落ちていたと警察から連絡があった」とのメール。
何だよそりゃ。昨日もちゃんと警察に届でて、会社の連絡先教えておいたのに。
昨日も落としていそうなところは探したし、警察に届け出るなら昨日のうちだろう。そう思って今日連絡が無ければあきらめようと思い、買い直してしまった。

しかも電話買う前に何度も実家に電話している。残念なことに父は不在で電話取得の情報を得られなかった。 警察にはドコモを経由して連絡がいったようだ。それならばドコモの姉ちゃん教えてくれても良かったのではないか。 今までは電話なくしても、1,2週間は対応しなかった。珍しく迅速に対応すればこの始末だ。 実害は少ないが、ただ単に悔しい。

まぁしかしそんなものだ。世の中の流れというのは、大体が最も皮肉な結果を想定しておけば、そのあたりに落ち着くことが多い。


今週は、大変疲れた一週間だった。生活のペースが戻りきっていないので、普通に暮らすだけでも大変だった。その上、あっちいったりこっちいったり。仕事でも、ちょっと息づまった状態になってしまっていた。
だがとにかく1週間こなした。仕事もちょっとずつは解決策見えてきたし、来週はもうちょっと色々うまくいくだろう。

母のことは、どんどん実感が湧かなくなっていく。先週はもうちょっとちゃんと認識していたと思うのだが。
既に成人してしまったので、具体的に困る場面は特に無いし、現在の僕の生活には、もともと母親は入り込んでいなかった。
そんなことがあったはずだが、本当にそうだったっけ?というかんじ。 良いことだか悪いことだかは分からないが、自然な反応だと思う。
一緒に暮らしていた父は、多分もっと大変だろう。

■Back ■Next ■Home