実家で本を読む週末。
司馬遼太郎の著書は多分8割がた読んだと思うが、街道をゆくは3割ほども読んでいないかもしれない。地方の名士との接待紀行になりかけたような、地味なやつもあるからな。
韓国編はすごく面白く、一気に読んだ。(台湾旅行のときに読んだ台湾編も面白かった)
著者の興奮や熱意や感動がひしひしと感じられる。50前後、20年ほど前の作品らしいが、だいぶ若い感じがする。
当時はちょっと都市を離れて農村へ行けば、1000年前と変わらぬ田園風景が広がっていて、司馬遼太郎の目から見ればその一つ一つのデティールに騎馬民族とのつながりがあり、日本のルーツが在り、中国の影響が在り、人間の生活の移り変わりが見える。
きっと日本でも50年前はそういうものが多く残っていたのだろう。それらが急速に失われたように、現在の韓国でも、この本で書かれた文化もかなりアメリカナイズされているのかもしれない。
でもきっとハズレのほう行けば残っているよな。日本だって探せばそういうものはあるからな。
3週間前に続き、また両親に料理を振る舞うことになった。今日は姉も帰ってくるというので、家族全員に食わせることになる。
そりゃ誉めてもらえば嬉しいが、親孝行しようというニュアンスよりも、退屈だから料理するかというほうが大きいのではないかと思う。
だから脇からガチャガチャ言われると、いくら鬱病の人が相手とは言え、わずらわしく思う。(3週前よりだいぶ回復したようだ。今日は調子悪いと言っていたが)
ひとがせっかく賞味期限や味付け、色彩りなんかを気にして献立考えているのに、いちいち余計な口出しするなよ。考えて作るから面白いのであって、言われた通りに作ったらただの労働になってしまうではないか。
うちの台所は使いやすいな。風呂は寮に負けるけどな。
風は強いが、つき刺さってこない。湿ったにおいがする。空には霞がかかり、なんだか落ち着かない。
春の空気だ。まだまだ寒い日は来るのだろうが、今日はたぶん今年の春の最初の日だ。
知床、八丈島、小笠原旅行の手配を進めた。
新しく作った試作品が、思いのほか順調に動いた。
「合コン」という名目で誘いを受けるのは始めての体験である。従って、参加するのも始めてである。
だがその実態は、と但し書きが着いてしまうが、M島のMZちゃん主催だし、迎えうつ男性解答者はしぐさが可愛いMにこれまた存在が可愛いとされるMっつん、それに僕だし、女性のほうもMZちゃんとその姉、その友達という何だかよく分からない陣容である。式根島行った人たちから数人メンバーチェンジが在った人々といえば、そういう見方も可能ではある。肉親と一緒に合コン、というのもなかなかの状況ではなかろうか。
始めてなので、心構えなどを質問してみる。その結果は、
・シュノーケル:内陸なので不要
・ヘッドランプ:ネオンが明るいので不要
・海パン:これは意見が別れて、鍋やるからあったほうが良いとか、寒いから不要とか
・お金:かつあげされた時のために必要
新宿だからアイゼンあったほうが良いのではという意見まで出てきて、あぁこうなると何を想定しておけば良いのやら。
まぁしかし実態は予想どおり、普通の飲み会だな。酔っぱらいが自分の言いたいことを言いあうような、天下泰平な感じの。普通に酔っぱらって、楽しげなかんじだった。
酒を呑むのが好きな女性の一部に、「私はお酒なんか飲めませんのよ」という態度をことさらに取りたがるのがいるが、あれは何故なのだろう。それも全神経でもって偽るというよりは、「嘘つけ、底なしなんだろ」と、言わせるような態度で。
世の中の人々のかなりの割合がそのような態度を取るならば、彼女or彼が本当にアルコールに強いかどうか分からなくなる。
人間の魅力とアルコールに対する抵抗力の関係は、あまり関連性はないと思うのだが、世の中の人は「一見お酒に弱そうに見えるけど、いざというときには良い感じに酔っ払って、自分をさらけ出す」という女性を良しとしているのだろうか。
店の名は、「とり鉄」という、Mっつんのホームであるかのような、あまりにもできすぎたシチュエーション。
しかし彼はその店名と、自らの出自についての秘密を言明しようとはしなかった。
後世の研究家に残された課題である。