昨冬に続き、2回目の達磨山富士見鍋ツアー。
パリの万国博覧会にて、日本を代表する景観として紹介された、駿河湾ごしの富士山を肴にワイワイやろうというコンセプトである。宿泊は快適な貸しきりロッジ。誰が来たって楽しめるのではないかと思う。
僕としては、「○○仲間の忘年会」というよりは、また八丈島へ行ったときのように無関係な人たちを集めて楽しみたいと思っていたが、それぞれ都合はつかず、最近の定番メンバー5人の遠足となった。前回よりもだいぶにぎやかなのは嬉しい。
まぁ人数の調整は難しい。一人だけ新メンバー、他の人は知り合い同士というような状況だったら、かなり人を選ぶことになってしまう。誘った人全員が来ることはないので、想定した人数(今回は5〜10人)+何人かに誘いをかけるが、たとえ全員がきても収拾がついて、参加者がどんな組みあわせになっても皆にリラックスして楽しんで欲しいと思う。そんなこと考えているうちに当日になる。
今回断った人たちにもまた何度か誘う機会を作る意志はある。でも現実的に、どんな人がきても楽しめる場を作るのはそう簡単でもないよな。誰がきても楽しめる状況を演出できるのなんて、年に2,3回あれば多いだろう。ということで、今回来れなかった人は口惜しがってくれ。
沼津港の市場で全員集結。
沼津港は、れっきとした魚市場である。素人考えだと、魚屋で買うよりも色々なものが安く買えると考えてしまうが、それはきっと水揚げした直後の状態だろう。土曜の夕方となると、思ったほど多くの魚が並んでいるわけでもない。鮮魚よりも干物や加工食品が目立つ。食堂は賑わっているが、閉まってる店も多い。実は駅ビルの魚屋の方が便利なのかもしれない。
それでもやっぱり良いものはある。まず食指を動かされたのはサケのカマ。一盛り400円くらいだっただろうか。他には焼津名産の黒はんぺんなどの練りものを購入。
極めつけはカンパチ4.6kg。一匹丸ごと購入。キロ1000円程度なので、約5000円。 これこそ大人買いである。財力だけでなく魚をさばく能力(頼めば捌いてもらえるが)、料理法、消化する胃袋を兼ね備えて初めて可能な買い物だ。ボーナス出たので新車を買う、お年玉を貯めて天体望遠鏡を買う、そういうときに感じるような「やっちまったよ」というような高揚感のある買い物である。
スーパーで食材買い足した後、だるま山へ。レストハウスでチェックインを済ませたら、冬の早い夕日の時間。近場の展望台へ。
戸田を見下ろすこの景観が大好きだ。多分、初めて見たときの印象、状況が大きいのだろう。
遥かな大海に向かう西伊豆の北西端。山がちなこの地域、陸地も海も人の気配はほとんど感じられない。
そんな中、素人目にも「天然の良港」という言葉がしっくりくる、C字型の入り江が海岸線の中に入り込んでいる。その周囲に、そこだけが安全地帯とでも言うように、小さな集落ができている。その集落を目指して、山中のこの場所から、山のひだを縫うようにして走る道。
そんな光景とともに夕日を見るわけだ。今日は下のほうが雲に隠され、さらに早い日没となったが、雲が焼けて結構きれいだった。
延々と食べつづけた。延々と喋り続けた。うまいもので満腹になった状態というのは、幸福をもっとも分かりやすく形にしたものである。
開高健の「オーパ」に「1週間間幸せになりたければ、豚を屠って食べなさい」という言葉が紹介されている。豚ほどではないがカンパチ並の大きな生き物を丸丸平らげてしまうというのは、確かに人を幸せにさせる不思議な力がある。なお、この言葉は「1日幸せになりたければ、酒を飲みなさい。3日間幸せになりたければ、結婚しなさい」から続き、「一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい」と結ばれる。
・予約はレストハウスに連絡だが、電話に出ないことも多い。経営母体である「虹の郷」に連絡したら、イレギュラーだが対応してくれた。当日予約でも使用可能。
・皿、箸、コップは一通りある。コンロは電気コンロが二つ。鍋やるときはカセットコンロあったほうが便利。 包丁は一本。これももう一本くらい持参してきたほうが作業効率があがった。
宴は終わらない。食材がまだだいぶ余っているからだ。
目を覚ましたら、まずは朝日を見に行く。
本日の日本列島は記録的な寒波に見合われている。各地から大雪の知らせがあるようだが、我々のいる関東、東海地方は祝福された土地、そんな気候ならば富士山はとてもきれいに見える。
どのくらいきれいに見えるかということに筆を費やしても、何か空しいものがある。ここでは昨冬のこの場所よりもだいぶきれいに見えたという記述にとどめておく。空気の澄んだ冬の晴天の日ならばきれいに見えるかというと、必ずしもそういう訳でもない。
日ノ出の一大劇場が終われば、鍋と刺し身の第二部が始めるわけだ。
カンパチ。
どうやらこのレベルの魚は、新鮮であればあるほどうまいという訳でもないようだ。昨日よりうまいんじゃないか?というのが皆の一致した意見。一晩寝かせることで身が柔らかくなったのか、理由は定かではないが脂が乗っていて旨い。
そして朝から兜煮。魚の頭を食べるのは面倒ではあるが、すごく旨い。口に含んだ瞬間、「!?」となる。
腹十二分目の状態でもおいしい。ちょっともったいないが。
チェックアウト後、修善寺を越えて川沿いの温泉に入浴。昼間の露天風呂って気持ち良い。
入浴後は天城峠の手前の猪村へ行った。こういうテーマパーク的なところって僕は一生行かないのではと思っていたが、ここは一見の価値がある。イノシシの芸が見れて、その後にイノシシ料理を食べられるというところだ。
芸としては余り洗練されていないところが面白い。イノシシは犬やサルのように、人間とそれほどコミュニケーションをとる動物ではないのだろう。調教師に媚びるような姿勢はなく、あくまでもマイペース。
「エサくれエサくれこれやるからエサくれエサくれ」ということを全身で表現しているのがすがすがしい。よく仕込んだものだ。
トイレでも案内板でも、園内の各所に様々な工夫が見られる。餌買わせてみたり賽銭払わせてみたり。
いのししレースなんて結構興奮したぞ。
いのししに芸をさせて商売にするという発想、それを本当に実現させてしまう努力は敬意に値する。
次は宮ヶ瀬湖のクリスマスツリーを目指す。秦野から、ヤビツ峠を越えて宮ヶ瀬湖へ向かう。 ということはその前に、丹沢の山中から夕暮れに沈んでいく街並みを見下ろせるわけだ。 今日の菜の花台からは、紫色の空をバックにした富士山や箱根、三浦半島から江の島を経てぐるりと周る相模湾に加え、その向こうに浮かぶ大島の街明かりまで見えた。車でいける場所としては、屈指の夜景を楽しめるところだ。この先に続く塔の岳山頂からは、もうちょっとだけすごいけどね。
峠を越えて山道をしばらく走る。湖畔の道路に合流すると、大渋滞。観光バスもカップルも家族づれも、延々と渋滞している。
山を二つ越えて、ガソリンがかなり危険な状態なので、車中から対岸のライトアップをちら見する程度で満足ということにして、途中で引き返した。後に我々が出たのは渋滞のかなり先頭のほうということが判明するが、最高尾のほうなんて何時間くらい待つんだろう。
それでもガソリンあれば見に行ったとは思うので、その点に関しては申し訳ないことをした。でもきっとこういう東京ウォーカーに紹介されるようなところよりも、達磨山や菜の花台からの景色のほうがきれいだろうということで勘弁してもらおう。
「今日のごはん」ファミレス初登場。サイゼリヤのこの値段の安さは、一体どういうことになっているんだろう。
藤沢からの帰り道は、思いのほか早かった。渋滞さえなければ近いのだからな。日曜の夜は、どこかでゆっくりして渋滞がなくなるのを待つ、という戦略が正しいと思う。
ブログがだいぶ流行っているが、今回の参加者は8割がwebで日記を付けている。同じことを対象にして、それぞれが何を書いたかというのが比較できて面白い。
●http://orange.ap.teacup.com/berugamo/
●http://plaza.rakuten.co.jp/maricobabylon/
●http://shu.cside.ne.jp
昨日使わなかった食材を調理する。
まず何より鮭の白子のでかいのが2切れある。これを最初に使う必要があるだろう。しかし、ちょっとゆがいてしょうゆ+レモン汁などという食べ方では、いくらうまくてもそうパクパク食べられない。別の料理を考えよう。というわけでグラタン。
こりゃどうもうまいね。半生のときよりもクセはないし、鍋底で忘れられたときのような悲しい食感でもない。香りも口あたりも楽しめる。チーズとも良く合う。
マカロニ、シーフードミックス、まいたけ、刻んだ白子に、薄力粉と牛乳混ぜたの加えて、塩コショウにガーリックマーガリン。チーズかけてオーブンで焼く。それらしいものができあがるので、グラタンの作り方としてそんなに間違っていないはずだ。
惜しむらくは、ちょっと焼きすぎたのか、牛乳の量が少なかったのか、やや乾燥ぎみの仕上がりになったことだ。それでも十分おいしかったのだから、白子の使い方として定番メニューに入れて良いと思う。
どんな店か、というのは余り重要ではなくて、とにかく飲み屋。1次会と2次会は同じ店でやった。1次会はなかなかうまい豆腐料理。2次会はイタリア料理と銘打っていたが実質は95%アジア料理。同じビルの店舗
まぁどうでも良い。
同じ部の人たちと呑むのは、リラックスできる面もあるが、やっぱりどこかで仕事の話が出てくる。特に酒が回りだすと、おおざっぱな内容は普段の本音が出ていると判断している。
口当たりは柔らかだが、よくよく考えてみれば自分の身がつまされるような話が何割か、それでもやっぱり、何となくにししろ気持ちが助かるような話もほんのちょっと。
公と私、はっきりわける必要は感じないが、生きていく上でこういう場は必要だと思う。
白菜たっぷり入れて、舞茸入れてハッカクで味付け。肉団子はショウガとねぎと片栗粉、ゴマ油と豆板醤で作る。 僕はスープだと思って作ったが、中華風の一人鍋といえばそうも見える。
これから職場の先輩が来る。彼の年賀状の制作を請け負ったからだ。深夜のフォトショップ作業。学生のときもよくこんなことがあったなぁ。
昨夜、「大満足だよ」とかなんとか言って帰った先輩から、予想どおり修正の依頼がきた。愛犬の名前が入っていないのが心残りらしい。
午後になって先輩が来て、作業再開。ちょこっと修正してあとは紙入れ替えたり印刷ボタン押すだけなので、主に寝袋にくるまって、「あったかいねぇ」といか言いながらだらだらしゃべっているだけ。僕のプリンタは画質の不満はないが、印刷はとても遅い。
だいぶ満足してくれたみたいで、自慢したいからいつもより多目に出すという。それは良いことをした。
満足したのは、僕の技術やセンスが良いというよりは、要望を何度も聞いて何度も修正したからだろう。自分の意見でちょっとずつ完成度を上げていったものって愛着湧くからな。
年賀状書くのは面倒ではあるが、良い風習だと思う。しばらく音沙汰のない友人に連絡するきっかけになる。人間関係の切れる理由なんて、大喧嘩であることなんてほとんどなくて、単に時間が経過して疎遠になるだけだからな。年賀状一枚出す程度でも、再開のきっかけになることだってあるだろう。出されて迷惑する人なんていないのだから、躊躇しないで出しといたほうが良いのだろうな。
あぁ自分のも書かなくては。
報酬としておごってもらった。「食ったなぁ」っていう満足感。