慈弾入道法師、駿河国より鎌倉入りの報を受け、紅葉ハイキングへ馳せ参ず。
今日は本番なので前回よりも色づいている。天気も良い。
横浜から鎌倉へ行くには横須賀線で直接向かう方法と湘南新宿ラインで一度大崎まで逆走する方法があるが、今回は前者の方法を選んだのでそれほど時間はかからなかった。
一方、北鎌倉へ行くには大船の次の駅で降りる方法と、いったん鎌倉の改札を出てから北鎌倉集合であることに気付き、一駅戻る方法がある。こちらは後者の方法を選択したので130円余計に払うことになった。
とはいえ、他のメンバーもどうせ遅刻することは容易に予想できる。僕は比較的早く着いたほうだ。
北鎌倉周辺の美術館や寺を見学。
経済的にも時間的にも豊かな人たちが趣味でやっているんだろうなというような店、質素で豪快で無駄のない、鎌倉時代の気風を残した建築物、住宅の海でできた関東平野の片隅とは思えない山林の風景、この3つがこのあたりの町の空気を印象づける。北鎌倉は今まで自転車で何度もとおりすぎたが、車と人で道がふさがっており、止まろうという気にはなれなかった。今度からは少し散歩してみるか。
寺から見る景色は、不思議なほど絵になっている。寺の境内だけでなく、背景の山林も含めて一つの風景になっている。深山幽谷の景色ともちょっと違う気もするが、それを箱庭のようにデフォルメしつつ、建築物の美観と調和させる。 近現代の建築物には、建物だけ見れば格好良いが周辺の雰囲気からは浮きまくっているなぁというようなのが多いように思えるが、何の違いなんだろう。時間が経てば調和するのかね。
メンバーが全員集まり、そば屋で腹を満たした後、ようやくハイキング出発。 晩秋のひだまりの中、麓の学校から運動している声を聞き、ハイカーと挨拶を交わし、海を望む。小春日和にはこんなところが最適だ。
今日のハイライト、獅子舞。隠れた紅葉スポットらしい。尾根から離れ、川ぞいに集落まで下っていく道。
見上げれば12月の弱々しい午後の光が紅葉を赤く輝かせ、足もとはいちょうのじゅうたんが敷かれている。1年のサイクルの中で、この1日。1日のサイクルの中で、この時間。
2週間前にも通ったが、景色はだいぶ違う。あのときはまだ色づいていなかったし、何しろ日が暮れてもう暗かった。
その後の永福寺跡。こちらは逆に、前回通った日暮れ後の時間のほうが幻妙だったと思う。
夕陽の天満宮、頼朝の墓、八幡宮の銀杏、と周ったのち、鎌倉駅から長谷寺へ向かう皆と別れて、僕は新宿へ。
韓国風の飲み屋さん。先生やら後輩やら、久しぶりに会った。
一口に同じ大学の同じ研究室といっても、やっぱりそれぞれ大きく違う人生を歩んでいる。多くはメーカーで技術職やっているが、扱うものも様々だし、会社の雰囲気や住む場所、生活スタイルなんかはまったく違う。これから十年以上は職場の最年少だという人と、もうすでに1回会社やめた人、実家で暮らしつづける人、大学に残る人、結婚した人、皆だいぶちがう人生になる。大学行って就職するなんてただレールの上のっかっているんじゃねぇかという発想は幻想だろう。
お開きとなり、それぞれ下宿先、久しぶりの実家、あるいは新妻のもとへと帰っていく。 僕も寮へ帰る。つもりだったのだが目の前で横浜行きの終電を逃すことになった。
予想していた事態ではある。何人かの都会ぐらしをしている友人に電話をかける。が、どうも頼りにならない。土曜の夜、彼らが家でのんびりしているはずもないもんな。
しかたない。こんなことなら実家へ帰っておけば良かったとか、昨日無理して自由が丘からチャリで帰ることなかったとか悔やんでも始まらない。たった6駅、自転車ではよく通るので道も分かる。達成感も得られない、ただ面倒で疲れるだけだろうが、元住吉から歩いて帰ることにする。2時間くらいだろうか。
山手線界隈で、高い金払って終電を気にしながら飲み会ってそんなに良いのかね。そんな都会生活には、あまり慣れなくてもいいや。
中華街で買ってきたおこげ料理を試してみる。
生まれて始めておこげ料理を食べたのは15年ほど前、家族旅行で行ったハワイの中華料理屋でだ。そのときのおいしさは、今でも家族で思い出話の中に出てくる。その後何度もおこげ料理を食べたが、揚げたものではない、本当におこげを使っていたのは最初の一回だけだ。
今回僕が作ったのも揚げるタイプ。一応それらしくできておいしかったが、おこげ料理を特徴づけるあの「バシュバシュジョワー」という効果音は観測されなかった。お焦げの状態なのか、片栗粉の硬さなのか、それともあんかけの温度が問題なのか。
人の荒野を歩いているつもりだった。まだ前人未踏の地だと思っていた。
そしたらいるではないか先行者が。あぁ悔しい。
別の用件で過去の特許を調べていたら、何やら見たことがあるようなものが。しかしそれは僕が出したものではない。僕が書いてから1年もたっていないので、まだ公開はされていないはずだ。
つまり、先を越された。
読めば読むほどよく似ている。というか、読まなくても先がわかる。ほぼ完全に同じアイデアだ。実施例はおろか、ご丁寧に先行技術までほぼ同じだ。
扱っている内容は我々が独自に開発した、文字どおり専売特許にしている技術を別の方法で実現するものだ。表と裏を反対にするというか、陰画と陽画のような関係。完全に狙い討ちされたという感じだ。僕の仕事が。
まねしたんじゃねぇの?と疑いたくもなるが、向こうの出願のほうが早い。僕は新人研修なんかをやっていたころなので、まだ思いついていなかった。
しかも公開されたのが僕の出願日の数日前。これでは逆に僕がまねしたみたいで格好悪い。僕が実際に書いていたのはそれよりもだいぶ前だし、僕がまねしたわけもないのだが。
悔しいことに僕のほうが3倍もページ数使って書いている。しかも向こうのほうが分かりやすい。
もちろんこんなことは良くあることだろう。ラジオやら電話の発明の時だって、何人もの独立発明者がいたというしな。技術の発達って個人の能力というより、時代が進めていくらしく、発明されるべき状況がきたら結構誰でもできるものなのだろう。我々発明者は自分の能力が優れているからだと思い込んでいるが。
しかしそんなことがこんなに早く、しかもあの特許で我が身におこるとは。
こんなに分かりやすい形で起こるのは、大変悔しいが身にしみる。アイデアあったら出し惜しみせずにどんどん出したほうがよさそうだ。次の特許は逆に書きやすくなったことだし。
明日は特に早起きする理由もない。だらだら飯を食いながら、だらだら小説でも読むのもなかなか良い時間だ。