写真の整理をした。
久しぶりにプリントする。やっぱりモニタ上で見るより満足感はあるが、もうちょっと印刷が早いと良い。
NZでは主にデジカメを使ったが、フィルムでも1本撮った。星の写真を撮るということに関しては、デジタルのその場で露出、構図を確認できるというのは大きなメリットだ。しかし、デジタルには電池の心配がある、オートフォーカスの使用を前提としているので暗闇ではピントが不安、という弱点を抱える。
今回の写真を見ると、デジカメでは電池切れにびびっていたので星の光跡を描けるほどの長時間露光をしたのはほとんどないし、ピントがぼけているっぽいものもいくつかあった。一応目盛りは確認したのだが。
その点は銀塩フィルムならば解消される。今回持っていった器材は、現時点で存在しているものでは理想的なものだったのではないかと思う。ちなみにその内容は、以下のとおり。安価な二つが自分の所有物で、それ以外は借りものだ。
・Canon EOS D20+電池3個:メインに使用
・レンズはシグマの20-200mm(通常使用)、Canonの10-22mm(広角ズーム 星の写真に便利)
・Canon IXY500:ごはん、その他一般用 散歩に行くときはこれだけ持って行く)
・OLIMPUS OM-1+24mmF2.8:長時間露光、サブカメラ2 野宿を続けてすべての電池がなくなってもこいつは動く。
・EPSON PM-2000:データストレージ 何千枚撮ってもこれがあれば安心。他人に自慢することもできるし。
アラ汁は昨日の残りものだが、すごいことになっているぞ。冷やしておいたものが、寒天状になって鍋にはりついている。暖めたら元に戻ったが、よほど色々な成分が含まれているらしい。
毎日刺し身というのも気が引けるので、今日は微妙に趣向を変えてブリ丼。ご飯にお酢混ぜ、ねぎ刻んで岩のりかけて。 料理していたら台所に同期の友人が現れたので、残り半身も焼き魚にして皆で食べた。 焼き魚は、ほんのちょっと醤油に浸しただけなので味が薄かった。刺し身のほうがうまい。 刺し身はうまい。採れたての新鮮なものよりも、ちょっと寝かせたほうが死後硬直が解けて柔らかくなって、旨さが増すという話を聞いたことがあるが、確かにそうなのかもしれない。
毎晩毎晩、魚がおいしくて酒が進む。そのまま、幸せな眠りに陥る。それはよいのだが、風呂にも入れないし日記も更新できない。
船舶免許の講習を受講。旧4級→1級へステップアップする。
学科試験のみ、それも4択問題の14問中10問を正解すれば良いのだから、難しいものではない。
しかもほぼ100%、過去問をもとにした問題集から一字一句違わずに出題されるのだから、センター試験と比べたってずいぶん簡単だ。
問題は海図の使い方(定規とコンパスで作図、簡単な計算)、気象、エンジンの知識などが問われる。日常的には使わない知識や能力も多いのかもしれないが、僕は機械系エンジニア、しかも天気や自然に関する知識は博識といってよいと思う。問題集さえあれば自分で勉強しても大丈夫そうではある。
でも試験に受かることだけが目的ではない。受かる以外にもいろんな知識を教わるのは大事だろうし、受験手続きやってもらうのは楽だ。
気象も航海計画も、色々なところで物理や算数の時間に習った事柄と、実際に運用するときに必要な現場の知恵が絡み合っているようで面白い。海図の使い方なんて小中学校の作図問題に似ているが、遠くまで航海するにはそれが必要っていうんだからな。
試験は今月末。暖かくなったら大島目指せるな。
魚の身よりもおいしい部分として、まず臓物では肝がおいしい。昨日心臓らしき部分も食してみたが、旨くもまずくもなかった。グニョグニョしていた。肝の旨さは、昨日書いたとおり。
で、頭の部分には肝に勝るとも劣らない箇所が存在する。そこを探検するのが兜煮の醍醐味だ。
まず一つは目の裏側。プリンのような白いものがあって、頬張るととろける。
もう一つは推定脳みそ。魚の脳がどれだと断定できる知識はないが、場所といい形状といい脳味噌にしか見えない。魚だって釣り人よりだいぶ頭が良いのだから、脳味噌の一つくらいついているだろう。
これが旨い。形も味もウニみたい。これを食えば、魚並みの知能を手に入れられるかもしれない。
煮物をやるときは、「さしすせそ」の順番で調味料を入れるとかいうのが本式らしい。
だが僕の料理は亜流式なので、目についた順番で入れる。それだってうまいのだから問題ない。
僕のは「さ」が砂糖、「し」が塩だったかな、という程度の知識だ。そこまでは良いとして、酢は塩の次なのか、醤油はどうするのか、酒は最初なのか、しょうがは入っていたか、ソースは、紹興酒は、となると、訳わからなくなってくる。さけ、さとう、しお、しょうが、しょうこうしゅ、酢、そばがき、という順番で入れる、というのにはかなり誤りが含まれるのだろうが、どれだか分からない。
サバは生食よりも、加熱したほうがおいしいというのがこれまでの経験則。寄生虫の心配もなくなる。 今日はちょっと焼きすぎてパサついてしまった。
今日はサバの半身をフライパンで焼いた。醤油と酢とオイスターソースでちょっと中華風に。
残りイナダとサバがいっぴきずつ。一人で食べたら3〜6回分の食事になる。
それでも一応前進はあった。今までちゃんと機能しなかったものが動くようになった。
何か発見があったわけではなく、今までは僕の作り方が雑だっただけ、というのが真相らしい。どんな良いもの考えついたって、ちゃんと組み立てなければ何の意味もない。
次はもっと組み立てやすいの考えよう。。
毎日刺し身ばかりというのも芸がない。とはいえ、やはり刺し身が一番旨いのではないかと思う
。
和食以外、イタリア人やフランス人、ロシア人、中国人はブリをどのようにして食するのだろうか。
今日は茶づけにした。イナダをぶつぎりにして、醤油に浸して、熱い麦茶に浸したご飯につっこむ。 すぐに食べれば半生だし、ずっと浸しておくと変成する。その違いを楽しむ。ねぎやワサビのアクセントが好ましい。茶づけを経由せずに直接口に持っていけば普通の刺し身だ。
今日のイナダは、はらわたをとり除いていなかった。よくよく気をつけてみると、ちょと臭みがある気がする。やっぱり新鮮なうちにとっておいたほうがよさそうだ。
今年母島まで知り合った人々と。
六本木というと、丸の内のOLやら米国のネイビーやらチバラギのおのぼりさんに似合う街なはずで、我々のような南方戦線に好適な人材には向かないのではないかとも思ったが、店内には大陸の風が吹いていた。料理の雰囲気も店員の雰囲気も。面倒だが我々向きである。
ワタリガニの揚げものと紹興酒、スープをたっぷり内包した点心がおいしかった。
マ、それはいい。
お互いの年齢は一度くらい聞いたことあるはずだが、再確認するたびに驚きの念を改める。若いんだか歳食ってんだか、僕は多分世情には疎いほうだが、彼らはちょっとずれがあるのではないか。若いにしろ大人っぽいにしろ、世間的に良いとされるほうに偏っていると思う。いや、年齢なんて所詮世間的なこと、それでしか彼らの雰囲気をん伝えられないのは表現部足である。とにかく、年齢に驚くというよりはそれぞれの持っているバイタリティには毎度感服する。
と同時に、このように平日に集まると、そういう世間ばなれした彼らでもやっぱり世の中の仕組みに組み込まれていることを再確認する。変位体とでも呼んでよさそうな彼らだって、他人に頭を下げ、頭を下げられ生活しているらしい。皆、まるっきりの世捨て人をやっているわけではない。あまり自覚はないが、僕自身だって多分そうなのだろう。
この世の中は、多かれ少なかれ変人の要素を持った普通の一般市民たちが、それぞれ少しずつ動かしているらしい。
サバはこれで終わり。イナダの残りは味噌につけてみた。切り身に味噌を塗りたくっただけだが、原始的な保存食としてそのやり方は正しいのだろうか。
イナダうまい。一週間経っても臭みがないのは、ちゃんと血抜きしたからだろうか。
今週もなんだか気付いたら、もう週末だ。仕事も進んでいるんだか進んでいないんだか、頑張っているとは思うがなかなか成果が出ない。あっという間に終わってしまった。
週末は週末であっという間に終わってしまうに決まっている。そうこうしているうちに今年も終わる。来年だってすぐ終わる。もしかしたら人生だってすぐ終わる。
天気予報によると、今夜遅く、もうじき雨が降ってくるらしい。今年は季節が遅れているようだが、また一歩冬に近づくだろう。
この時期の雨は、高い山の上のほうならば雪になるのだろう。うっすらと積もって、やがて晴れる。青空が広がり、溶ける。麓のほうはまだ紅葉しているかもしれない。日が沈んで星が出る。月も出る。きっと誰もいない。
きれいなんだろうな。